やまもとです
後藤さん
> 先ほどの「江戸時代」にも関連することなんですけど、
> ワークシェアリングにしても他の手法にしても、一番大事
> なことは、100%納得ヅクは無理にしても、生活者として
> の個人が、確かな情報提供と状況判断に基づいて、主体
> 的にその手法を選択するということだと考えます。
>
○洋電機で行われようとしているワークシェアリングは
800人分しかない仕事を900人でするとき、
100人を切り捨てないで仕事量も給料も8/9としよう
と聞いておりますが、こういう場合も主体的に選択したこと
になるんでしょうか疑問を感じます。
でも、このような景気の状況下では、「しかたがない方法」
として選択するしかないようですね。
> もしこうした特殊な勤務形態とワークシェアリングを区別する
> ものがあるとすれば、それは「休まなくてもいいがあえて休む」、
> 自ら「休息の選択」を行うか否か、の違いかもしれません。
>
そうですね、ちょっと高炉作業をワークシェアリングに結びつけるのは
ちょっと無理があるような気もしてきました(^^;
イメージとしては、4直3交代を5直3交代にすると言うことをイメージ
していたのでちょっと混乱したかもしれません。
> やまもとさん:
> > ”日本人本来の国民性”という言葉が
> > 同じ価値観を持ちたがるという意味なんでしょうか?..
>
> すみません説明不足で。うまく説明できませんが、
> 「足るを知る」的アンチ・貪欲人生(「清貧」ではない)、
> プラス、「困った時はお互い様」的相互扶助感覚、
> プラス、生活者としての個人を起点とした生き方、、
> みたいな「感じ」でしょうか。
>
うーん、そうすると確かに”本来”かもしれませんが、
どれだけ残っているのか疑問ですね。
でも残っててほしいですね。
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