澤口@一升金です。
Sato, Kenjiさんの<004f01c1692d$1866f550$0100a8c0@kk266r>から
>よくわかりません。どういった観察からこの結論(現実・事実)が導き出されるので
>すか?
社会と科学の成立の歴史的な経緯から明らかだと思うのですが。
社会が科学を選択するのであって、科学が社会を認証するのではないでしょう。
>少なくとも、ヨーロッパ、アメリカでは”契約”が先に来ます。自分の権限を委譲す
>る所から国が成り立っています。異なるエスニックグループ間で心情を共有している
>から社会が成り立っているなんて、とても考えられません。「互いを殺し合わない」
>「共食いをしない」というレベルであれば、社会生物としての”共感”を基に成立し
>ているといえるかも知れませんが、そんな話をしているのではないですよね。
契約は科学的な合意とは異なると思いますが。結婚なども現代では一種の契約
だと思いますが、結婚の届け出制度がなかった時代にも結婚自体はあったのは
間違いないことでしょう。
>の”科学的”の定義は解りませんが、僕が使っている科学の定義(=「考える方法」
>自体)ならば、まさに、人は科学的に職業を選んでいると言えます。たとえば、私の
>家はここにある→家から近くの職場が良い+私の経歴はこうである→この経歴では此
損得、良悪、善悪のような包括的価値判断は科学には含まれないと思います。
佐藤さんの定義では人間のあらゆる社会行動が科学的であるとできてしまうの
ではないでしょうか。
犬・猫が餌を捕るのもそれなりに考えて行動しているのは明らかですが、彼ら
は科学的なのでしょうか。
わたしは厳密な意味での一致性が保証される事象モデルとその解釈体系が科学
であると思います。
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