[BlueSky: 3787] 科学と近代化  Re:3774 狂牛病と科学


[From] "suka" [Date] Fri, 9 Nov 2001 23:56:07 +0900

小宮さん みなさん

   須賀です。

小宮さん:
> ところで、ひとつ質問なのですが、科学の進歩、という場合、現在経済の発展
> と結びつかない分野の科学の進歩というのはあるものなのでしょうか?うまく
> いえませんが、技術的な開発だけでなく、基礎的な科学の研究も、現在は
> 大掛かりな資本が必要となって、よくいえば「社会に貢献する」、悪くいえば
> 「金儲けのための」分野の研究しかされていない(することができない)のが
> 現状なのではないでしょうか。

これを拝読してすぐに頭に思い浮かんだのが、昆虫分類学の
ことでした。

明治以降の日本の近代化の過程で、農業における害虫防除や
養蚕業は大きな社会的意味をもってきましたから、国や地方
の試験研究機関・大学の農学部などでこれらの分野は研究され、
成果をあげてきました。

けれども純粋に(なにが純粋かはともかく)自然界についての
知見を体系づけてわかりやすい知識として整備しようとか、
最近のように環境のことをよくしろうとかいう目的のために
大きな国家的投資がおこなわれてきたということはあまり
なかったのではないかと思います。

日本の昆虫の種の解明率は3割くらいといわれています。
まだあと2倍以上の種が新種として記載される可能性が
あるということです。

日本国内の自然環境についてすら、まだこのくらいの
ことしかわかっていないということです。

なぜかというと、昆虫類のなかで生産の現場で直接目に
つくものはごく一部で、それ以外の多くは研究されてこな
かったからです。

研究のための人的な投資もごくわずかしかなかった。

いま僕は、長野県から派遣されてつくばにある国の
研究所でハナバチの同定(野外でとれた標本がどの
種かをしらべること)の技術の勉強をしています。

この研究所は以前農林水産省の管轄でしたが、今年の
春から独立行政法人になりました。つくばにはこのほか
にも、旧林野庁系や旧環境庁系の自然環境をあつかう
研究所があります。しかし整備された昆虫標本館がある
のはここだけです。日本では有数の昆虫標本館ですが、
欧米の著名な博物館などにくらべると収蔵点数で10分の
1くらいのオーダーです。常勤の研究者も3人しかいません。
昆虫には30の目(チョウ目、トンボ目、バッタ目などの
大きな分類単位)がありますが、常勤の研究者の担当
分野は、チョウ目2名、カメムシ目1名にすぎません。
どちらも農業害虫を多くふくむグループです(チョウ目には
ガがふくまれます)。環境分野でもとめられていること全体
にくらべて、国家レベルでいかにわずかな投資しかされて
いないかということを感じずにはいられません。

研究に大掛かりな装置などが必要なわけではありません。
たとえば僕の勉強のためには、昆虫標本と、文献と、実体
顕微鏡があるだけで十分です。そしてそれは、つくばのこの
研究所にはあります。長野県には、文献と、比較できる標本
がありません。

ハナバチというのは、花に来て花粉や蜜をあつめて巣にもち
かえり、子育てをするハチのなかまで、日本に約400種あまり
がいるとされています。日本の多くの野生植物の受粉に欠かせ
ない役割を果たしていると考えられています。たとえば信州の
高原のお花畑の植物が子孫をのこしていくのに、こららの
昆虫が生きていける環境が必要だということです。けれども、まだ
分類体系がととのっていないグループもあり、野外で適当に
つかまえてきたハナバチの種類をしらべることのできる図鑑は
ありません。それをしらべるには、昔からのあちこちの学会誌
にのった記載論文や断片的な検索表、そして同定済みの標本
と照合しなければなりません。そういう作業のできる場所が
国内にほとんどないということです。僕はここに来て、1930
年代の国内のある地方の研究会誌にのった文献も複写
しました。それがないと種がわからないハチがいるから
です。

僕の場合は、長野県の自然環境の調査で採集した標本を
同定する必要性や、県のレッドデータブックを作成する仕事
の必要があって、自治体から国への研修制度を利用して
このような勉強をする機会にめぐまれることができました。

けれども僕が知る限り、こういう勉強の機会をもっとも切実
に必要と感じているのは、環境コンサルタント会社のまじめな
生物系の調査員たちです。悪名高い環境アセスメントなど
の調査を現場でやっているひとたちです。僕の知る人のなか
には、ほんとうに生物がすきで、社会的な良識にとみ、向学心
にあふれたひとたちもいます。けれども彼らの仕事は、ときに
社会的な害毒であるかのようにいわれることがあります。
それは制度の問題なのですが、制度そのものにまでさかのぼ
った建設的な批判ばかりがなされるわけではありません。
調査がずさんだとか、種の同定がまちがっているとかいう
批判がなされることがあり、その批判そのものは正しいとしても
それをのりこえるのに必要な機会なり、または批判する側の
代案なりがあたえられていないわけです。理不尽な話です。

この理不尽さを解消するというごくかぎられた目的のため
だけにでも、昆虫分類学に対してはもっと大きな社会的投資
が必要だと思います。

日本の昆虫分類学の発展は、熱心なアマチュアの力に大きく
ささえられてきました。「官」の学問ではなかったわけです。
このことは日本の近代化政策のなかで「科学」がどのように
利用されてきたかということと無縁ではないと思います。

そして、よしあしとは別に、欧米の近代のサイエンスのなか
では、分類学をはじめとするナチュラルヒストリー(自然史)
の分野も大きな位置を占めてきたし、いまなお占め続けて
いると僕は理解しています。そのことがたとえば生物多様性
の保全といった環境問題へのアプローチのありかたにも
差をもたらしているように思います。この差があること自体を
前提にしないと僕のような分野の仕事はできません。

長野県の自然も、熱心な、そしてすぐれたアマチュアの昆虫
研究者をはぐくんできました。それらの研究者の多くは高齢化
しています。亡くなると、その標本はすてられてしまったり、国外、
または県外の博物館などに流出してしまったりするそうです。
ある方からうかがったお話によると、1960年代以降、信州
の自然も大きく変わり、生息するチョウも大きく変化したと
いうことです。過去の標本は、たとえばそういった化石燃料
の大量消費がはじまる前の時代の自然の姿を物語る貴重な
資料になります。そのような資料を保存する施設が、これまで
ほとんど整備されてこなかったということです。

僕はただ単に自分の研究分野の重要性をアピールするため
にこのことをお話しているわけではありません(それもあり
ますが)。 僕は大学で昆虫の生態学を学びました。けれども
分類学についてはごくわずかのことしか学びませんでした。
生態学の知識を自然保護という社会的に意義あることに
活かそうと思っていまの仕事をはじめて、このようなことを
ほんとうに身にしみて実感するようになりました。ですから、
僕は、このメールで僕がお話したようなことをみなさんが
ご存知でなくてもすこしも驚きません。

「科学」のなかにはこういう分野もあるということを知って
いただけたら、僕もこのメールは目的を果たしたことに
なります。

ご感想をお待ちしています。
それではまた。

   須賀 丈









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