[BlueSky: 3781] Re:3775 技術と科学のありかた


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Fri, 9 Nov 2001 16:10:22 +0900

葛貫です。

佐藤さん:
> 「科学」は価値判断はしません。おそらく、何が大多数にとって心地よいかは統計的
> にある幅をもって確定する事は出来るでしょうが、「これが正しい」とか、「あれは
> 間違いだ」というのは、大前提になる価値がないと、”科学的に”決定出来ないもの
> と思います。

はい。

> 科学的な説得などというものは、殆どがその大前提を隠して方便として
> 使われている気がします。よい例がうかびませんが、同じ現象を用いて全く反対の意
> 見を支持する道具に使えるはずです。

その通り!!

> 部分的には”科学的
> に正論”でも、もっと大きな枠組みの中では正しくない事はいくらでもあり得ます。
> 彼らの専門領域のことは理解は出来なくても、社会で生きている個としてのロジック
> は誰でも持っているはずです。でも、理屈に対して情緒で対抗するのはどうかとも思
> います。情緒は共感を得ることは出来ても、理解は得られないからです。(ま、共感
> の方が理解より力強いことは間々ありますが)。社会のあり方として、理解より共感
> の方を取ろうと言うのなら仕方ありませんが・・・、僕には住み難い世の中になる
> なぁ。

私も、情緒で対応するのは話がこじれるだけで、戴けないと
思います。自分は情緒的な文章ばかり書いているくせに、ですが(笑)。

ただ、理論武装する前には、言葉にされるまえの“!”または“?”
という、感覚や情動があるのだと思います。
“!”や“?”は、生得的な本能の部分からくるものと、後天的な
経験、教育、躾等の部分からくるものがあるのだと思われます。

negotiateするためには、その感覚や情動が、何によって引き起こ
されているのか、何が自分や相手の心の琴線にふれたのか、あるいは、
神経を逆なでしたのか、見極める必要があるのだと思います。
もっと言ってしまえば、何が自分や相手の生存欲求、 安全欲求、
所属と愛の欲求、評価・承認欲求、自己実現欲求、等を満たす“!”
の方向に働いたのか、脅かす“?”の方向に働いたのか、理解しよう
とする努力が必要なのだろうと思います。

その上で、お互いの欲求をできるだけ損なわないように調整できないか、
違う立場が共存する術はないのか、共感は無理でも容認はできないか、
等々、「理」による判断をするようにしなければと思います。
理屈による情緒の封じ込めは、モヤモヤとしたわだかまりが内に残り、
思わぬところで報復を受けることになりそう。我が家ではそうなる(笑)。
それ以前に、「理」による対話に耐える情緒の表現方法を身につけな
ければと、常々思ってはいるですが m(_ _)m 。

> 研究やってる本人も、それを指揮しているマネージャーも、投資者も、実は誰一人と
> して、5年後にどうなるかなんて、解らずにやっているのが実状なんでしょうね。生
> 命の営みと同じで、盲目的に進み続ける以外、変化する手だてを持たないのかも知れ
> ない。

技術と社会の問題というのは、「だたひとつの正解」がある問題を
解くのとは違い、わからない要素が多々ある中で試行錯誤しながら
マシな状態を創って行くものさ位に思っていた方がいいのでしょうね。

フィードバックをかけられるように、皆が同じ方向を向くような
教育や躾をしない、多数派に対する反対意見を述べられる場を用意
しておくことができれば、「よし」なのかな。

> とても、抽象的な投稿になり、わかりにくくて申し訳ない。

輪をかけて、わかりにくい抽象的な話になってしまったかも m(_ _)m 。




▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。