[BlueSky: 3756] Re:3741 狂牛病と科学の限界


[From] "Kaz. Yokoyama" [Date] Tue, 6 Nov 2001 03:49:36 +0900

田中さん、aquaさん、青空の皆さん

和尚@ブエノスアイレスです。
お二人の熱のこもった問いかけについつい長文になりました。お立場によっては「むっ
と」される方もおられるかも・・・その折りは即刻削除してください。

田中さん:
> 今まで「実はあれは・・・」と無理な釈明を平気でするおエライ方々を散々見てきて

> 今回もまた「実は・・・」と言い出すのではないか、と友人も皆疑っています。

「エライ」方が大臣のことを指しているのなら、原稿読んでるだけの彼らを私は偉いと
は思いませんがね。ただ彼らは大枚のお手当を頂いている訳で、結果責任について弁護
をするつもりは全くありません。しかし何かある度に起きる雪崩的パニック状態を観る
と肝心なことは話せないと骨身に沁みてるんじゃないですか?

> その度に消費者も振りまわされてきました。

一度聞いてみたいと思っていたことなのですが、「振り回された」と自認されている方
は、何に振り回されてきたのか?その時は何を信じて行動したのですか?もしかしてマ
スコミですか?それが正しいと何故「信じた」のですか?

> この辺でおエライ方々にシャキッとしていただかないと、こういう馬鹿げた被害は永
遠になくならないでしょう。

エライ人が本当の意味で偉くなって貰いたいと思いますが、同時に判断を誰かにお願い
したいという人任せの態度、もう止めた方が良いと思う。一応、大多数の人が高校まで
行ってるんだから、もう少し自分の身体と感性使って情報集めて自分独自の考えって物
を持ったらどうでしょうか。どっかに書いてたこと、誰かが行ってたことをコピーする
んじゃなくて。

> 色々な可能性を考え出すと、背筋が寒くなりますね。
> すべて人間がつくった害です。当然の酬いということでしょうか。。。

私たちが住む世界は日々変化しているのです。危ない物や不可解な物はこれからも五万
と現れますよ。その度に誰かに判断して貰って、わーと走って逃げたり、どーと買いに
走ったりするのですか?そう言う生活って文化的生活って言うのでしょうか?
日本人は何時から「自分で考えない」単なる群徒になってしまったの?そんな群の中で
「本当の話」なんて危なくって出来る訳無いじゃないですか?

aquaさん:

>  臓器移植や遺伝子組み替え、
>  ES細胞の研究について「なんとなく」拒否されている。
>  これは素人の間違った考えであり、、(以下同様)
>
> とほとんど同じようなニュアンスであるように思います。

この点は同感です。遺伝子組換え食品の時にも論じましたが、「科学啓蒙主義」とでも
言うのでしょうか。科学者には専門外の人に「素人は黙ってろ」風の物言いがあります
ね。この事は逆に自身も「専門外」には全く無関心だったり、頓珍漢だったりしても許
されるみたいな妙にナイーヴなところがある。
それと科学はどこかで「人間は論理的に行動する」と思いこんでいるふしがある。

> つまり、科学の方法自体の限界、ということかも知れません。

この辺の下りは「ポストモダン」や「複雑系」科学の前書きを彷彿とさせますね。言っ
てることはその通りですが、それだけだと嘆いてるだけ、あるいは祈ってるだけになっ
てしまします。

> つまり、これまでピースミールワークと論理で自然を解明してきた(?)

さすがにマスコミ学者かお役所御用学者以外は今ではそんなお粗末なことは言わないと
思いますが。

> だから、論理的な(=科学的な)理由はなくても、
> 牛肉は買わないし、遺伝子組み替え作物も買わない。
> いくら政治家や科学者が「だいじょうぶ」と言っても、
> 環境やバイオテクノロジーに不安を抱くのだと思います。

それなら何故、毎年1万人以上を犠牲にする実績ばりばりの「自動車と言うテクノロジ
ー」に不安を抱かないの?加害者になる可能性だってあるのに。
電子レンジと同じ周波数の電波を何百メートルも飛ばすことが出来る「発信器」を毎日
側頭部に密着させて不安じゃないの?
血管をぼろぼろにするようなジャンクフードを何で並んでまで食べたいの?
マスコミが何も言ってないから?

裏を返せば本質的な意味で、人間は論理では行動しない。ましてや全く科学的ではない
。つまり、ある科学者が「科学的に安全」だから「このように行動しなさい」なんて言
ったとしたら、その人は全く人間を理解しようとしたことのない「救いようのないアホ
」だと思って差し支えないでしょう。

> すでに、観察する側とされる側をきっぱり分けることはできない、

同じことが、私たちの社会にも当てはまりますね。社会を問題視する場合、その中に自
分も含んでいなければなりません。自分自身もその問題に手を染めていると言う感覚、
これがないと「カウチポテト流の評論家談義」になるわけです。ですから、次回には是
非、「だから私はこうする」、あるいは「こうした」の部分をお聞かせください。

> それに代わるパラダイムとはどのようなものなのでしょう。

パラダイムまで行くと言い過ぎですが、世界も論理的には出来ていないと考えれば良い
んじゃない?きっちりとした論理のブロックが組まれているところもあれば、適当なぐ
すぐすの隙間だらけの空間も実はあるんじゃないのかってね。それを全体としてまとめ
ている力が「多様性が生み出すシステムの動的な安定性」の中にあると私は信じていま
す。もっと言えば、ちょっと危ない表現ですが、「多様性は世界を形成している第5の
力」じゃないかとさえ考えています。つまり、多様性は「変化の結果であると同時に、
システムを統御する原因」でもある。ただしこの変化し続ける安定性の未来は常に確率
的にしか予測できない。つまり、未来に貴方が生き残っているかどうかが何時も完全に
は不明と言う恐ろしげな世界です。そこで生きていくためには「常に自分も」生き残り
を賭けて矛盾(だって今現に生きているシステムを変化させると死んじゃう確率の方が
高い訳ですからね)を覚悟で変化し続けなければならない。その「矛盾」から発生する
力がシステムに永続性をもたらす。生命史と同じようにね。

> また、多ければ多いほどいい、に代わる価値観は
> どのように表現すればいいかと思います。

「持続性」の価値観じゃないでしょうか。現在の「もっと大きく、もっと多く」だと、
必ず有限世界では限界が来るのは自明であり絶対持続しないから「ダメ」みたいにね。
経済成長を持続させるためには、時には経済後退も正しい途だと考えれば良いのです。
その間に我々は前とは違った形に変化する機会を得る。

例えば、私は今「所得半減計画」と言うことを良く話すんですが、全員一気に賃金50
%カット。ただし労働時間も半分。後は自由に使って良しとする。生活レベルを落とし
たくなければ、違ったことを始めますよ。社会も変わる。全員がパートタイムワーカー
になるわけですから、定年制度も廃止。その間にキャリアを積んだり、産業構造を変え
ちゃう訳ね。過去の産業構造を変えないように税金使うよりもずっと前向きだと思いま
すね。問題は、こういう「一見後退」的なことを言うと選挙に当選しない。だから、群
徒国家では絵に描いた餅なんですけどね。

取りあえず、群徒を卒業しませんか?その為に「一人一人がもっと勉強して物をよく考
える」、「選挙には必ず行く」、「真剣に未来を考えて投票する」と言うのが最も現実
的解決への道ですね。

文章表現にむっとされた方には平にご容赦を、迷った時は良い方に解釈してね。
最近日本語が怪しい物で
では


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