[BlueSky: 3627] Re:3625 『代議制』について


[From] "suka" [Date] Mon, 10 Sep 2001 02:49:47 +0900

太田さん 一ノ瀬さん みなさん

   須賀です。

太田さん:
> こんにちわ。太田@阪大です。ちょっとファールボールな投稿かもしれません。
>
> 環境保護について考える時、市場価値に反映されない社会的価値を
> 誰がどうやって守っていくか、その制度について考えようとしてみたのですが、
> 最近、じぶんが根本的なことを理解しないままに物事を考えていることに気がつき

> した。
> 代議制民主主義ってどのような論理で制度付けられているのでしょうか。

すばらしい問題提起だと思います。個人的な感想ですが、この
メーリングリストにぴったりの話題ではないでしょうか。この話が
もりあがるかどうかは、太田さん、一ノ瀬さんを筆頭に、勇気を
出してこの話題を建設的に発展させてくださる方々がこのあと
どんなふうにでてきてくださるかにかかっているのでしょうね。

僕自身も、「打たれ役」を演じることができればと願っています。

太田さん:
> 例えば
> もし代議制民主主義(間接民主主義)が
> 1「自分の変わりに国会にいき、自分の利害を代弁する人を選ぶこと」
> だとすれば
> ↓
> 2「選挙では主権者が自分の利益を極大化してくれるひとに投票するのは、あたり

> えであって
> その利害を共有している組織があってら、ある程度の意見の集約がありえるわけで
> 組織票というものがでてくるのは当然」
> なのに
> ↓
> 3「どうして族議員が、その存在自体が悪(←わざと端的にいってみました)のよ

> にいわれているのか?)」
> ということについて悩んでいます。

一ノ瀬さんは「族議員」そのものについて端的に答えてください
ました。そして太田さんの疑問は(一ノ瀬さんがこたえてくだ
さったことはもちろんのこと)より一般的な問題にもおよんで
いるようなですので、僕もその一端にふれることができること
を願いつつ、自分の知識と体験の範囲で感じていることを
お話してみようと思います。

一ノ瀬さん:
>  このところの日本では、自分達の論拠そのものにまでメスを入れて、その正当
> 性を見つめ直す人が少ないように感じられます。自らを疑うという太田さんの態
> 度は、大変に貴重だと思います。

そうですね。日本に少ないかどうかは僕にはわかりませんが、
このメーリングリストには、一ノ瀬さん、太田さんを筆頭として
(そして一ノ瀬さんの好敵手の論客の方々もふくめて)自分
自身の基盤をもうたがうといいう旺盛な懐疑精神をおもちの
みなさんがたくさんいらっしゃると感じています。自分の論拠を
疑うこということを明言していなくても、他人にそれをもとめる
という姿勢を示すことは、同じ刃を自分にもむけることになり
ますから、もっとも勇気のいることで、その点で大きな一致点を
共有しているみなさんがここにたくさんいらっしゃることを本当
にうれしく思います。落第なのは僕自身くらいのものでしょう。

太田さん:
> ・選挙では主権者が自分の利益を極大化してくれるひとに投票するのは、あたり
> まえ
> ・どうして族議員が、その存在自体が悪のようにいわれているのか

一ノ瀬さん:
>  端的に言えば、
>
> 「一部の利益と全体の利益は、一般に一致しない」
>
> からです。
   ・・・(中略ごめんなさい)・・・
>  故に、憲法第十五条第二項に
> 「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」
> と定められています。(でも、国会議員に関する記述はないが、、、、)

そうですね。そしてむずかしいのは「全体の奉仕者」というときの
「全体」とは何かということです。

僕は今、自宅からメールを書いていますが、仕事をするときの身分
は長野県の職員です。そのときの全体とは、長野県なのか。その
「長野県の全体」とは何か。

たとえば、長野県には中部山岳国立公園や上信越国立公園、
南アルプス国立公園などの国立公園があります。国立公園です
から国民全体の財産です。でもその管理の仕事は一部、長野県
や地元の市町村にもゆだねられている。

僕自身は公権力を執行する権限をあたえられていない研究職員
です。でも長野県の自然環境を研究することは、そうした国民の
財産の管理のありかたに影響をあたえないとはいいきれない。
そのときにどのような「全体」をイメージして仕事をすればいいのか。

このことには毎日のように悩んでいます。

長野県は日本に生育・生息する維管束植物や蝶の約60パーセント
弱の種が分布しています。生物多様性とその要素に国家の主権を
みとめることは生物多様性条約で確認されましたが、同時に地球環境
は世界の共有財産でもあるという考え方が国際法方面ではとられて
いるそうです。そしてそれらの生物の生息地・生育地は国有地や
県有地だけではありません。

以前このMLでも話題になりましたが、私有地である場合もある。
(そして「共有地の悲劇」で話題になったように入会などの地域の
伝統的なコモンズである場合もある。)

そのように権利の関係が錯綜してる場において、たとえばギフチョウ
の生息地を守るというのはどういうことか。

ここで大事なのは、ギフチョウは人間の土地への権利関係や県境
など無視してとびまわるということです。

たとえばそのギフチョウのような「一部の愛好家」(?)にしか価値の
わからないものを税金をつかって研究する根拠はどこにあるかと
いうと、国の「生物多様性国家戦略」「環境基本法」、県の「環境基本
条例」、国や県の「環境基本計画」などにあるわけです。

でもみなさん、そんなこと知らないでしょ?

そんな、だれにもしられていない「全体」って何だろう、と思ってしまう
のです。

僕はいま、いろいろある仕事のひとつとして、長野県に生息する
無脊椎動物の絶滅危惧種をリストアップして「レッドデータブック」
をつくる仕事のお手伝いをしています。県の事業としておこなわれ
ています。その話を自然保護に熱心な県民の方々の前ですると、
それには法的な規制がともなうのか、と質問されます。規制はとも
なわないので、その事実をありのままにつたえると、きびしく批判
されることがあります。そしてそのお気持ちはよくわかります。

でも、規制をかけるには、法律や条令などが必要で、県議会を
通らなくてはいけません。そのためには、その政策を公約したり
支持したりする知事や議員がいなくてはなりません。県民に選挙
でえらばれたひとたちが行政上の公権力の行使の正当性をになう
のですから。

そしてさらにややこしいことに(長野県の場合にみられるように)
どちらも選挙でえらばれたはずの知事と議会が対立するという
こともあります。

そのことのよしあしをいう立場にはありませんが、「全体の奉仕者」
というときの「全体」は、このようなことを考えあわせるとき、どの
ように理解したらいいのでしょうか。

僕のなやみのレベルはこの程度のものですが、太田さんの
疑問についてひとりでも多くのみなさんがじっくり考えてくださる
ことを願っています。

   須賀 丈









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