こんにちは、葛貫です。
野池さん:
> それに従って、環境市民団体も専門化、細分化してきたように思います。
・・・・
> だから、環境問題をトータルに捉え直す必要が出てきていると考えています。
> しかし、これはそんな簡単なことではありません。
・・・・
> ある意味で議論が特権化していってしまう危険性もあると思います。
・・・・
> だから、もし多くの人たちが温暖化問題を自分に引き要せて考えていくためには、
> もっと身近な範囲、せめて基礎自治体、つまりは市町村単位からスタートするのが
> ひとつの方法だと考えます。
> 国単位だと1億2500万人分の1より、36万分の1(長野市の場合)のほうが、
> 自分の考えや行動も反映されやすいですし。
> それに地域の特性がはっきりしてきて、個性的な発想もでてくるでしょう。
> 地域とか地元というところに立ち帰って、そこから課題に取り組んでいくのが、
> けっこう近道なるのではと思います。
・・・・・
> 要は、環境問題にかかわる個人や団体が社会ビジョンを描いたうえで、
> 意見を言い、行動していくことが重要だと考えます。
> 議論のための議論に陥らないためにも。
本当に、そうですね。
「今、ここで、できること」から始めることが、閉塞感や無力感から
脱する第一歩なんですね。
地域とか地元で、何らかの課題に取り組んで行く、ということは、
「理」の部分だけで済まず、「情」の部分も含めて全人的にcommit
することになるわけで、知力、気力、体力だけでなく、自分の心の
許容量みたいなものに直面する羽目になってしまうわけで、なかなか
かかわりあう勇気を持てない、というのが正直なところです。
今日、朝日新聞のサイトで、「命とネットワーク」というコラムを
見かけたのですが、
http://www.asahi.com/nature/column/takagi/takagi0731.html
「命」とは何か? 私は、それは多くの異質な存在が繋(つな)
がりあい、関(かか)わりあったネットワークだと思います。
だから命は、1個2個と数えられるものではなくて、ほかと繋がり
合う機能を持った開放性のシステムなのです。命を大切にすることは、
ネットワークを柔軟性があり、耐性もあるものに育てるということだ
と考え、実践しています。
しかし、そのためには、網の目の一つである我が身自身がほかと繋
がっていく力を養う必要もあります。だからこそ、ほかとの違いを
知り、真のパートナーシップを築いていくために、「私」をきちん
と理解し受容してあげる必要があるのです。
「そんな難しいこと考えていないと、自然遊びできないんですか?」
と言われちゃいます。そんなことないんです。そよ風の心地良さ、
光や雨のありがたさなどを楽しんでいると、自然と自己受容ができて
くるんです。
という一節が心に残りました。
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