[BlueSky: 3482] イメージ・ミスによるダメージ


[From] "gengorou" [Date] Sun, 24 Jun 2001 18:41:42 +0900


こんばんは、ゲンゴロウです。
また、投稿させてもらいます。。

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虫は虫なりに一つの考え(イメージ・ミスによるダメージ)
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「もしかすると、男と女とは、それほどの違いはないのではないか?」
などと、、また、私はくだらないことを考えている。

「男と女の間には深くて暗い川がある・・・」という歌があるが、そ
れは、そう思いたい人間によって作られた歌ではないのか、などと、
私は思い始めている。

男と女は、互いに互いを、そうあってほしいという想いから、互いを
男と女という「性」に育て上げてしまっているのではないだろうか。

たしかに生物的に男女には差がある。その生物的な差が男性を作り、
また女性を作ったには違いないとは思う。例えば、まだ人類が洞窟に
住んでいた当時のことを想像してみると、女は常にお腹の中に子ども
を身ごもっていただろうと推測できるので、その為にエサを探しに出
かけるのは、必然的に男の役目になったに違いない。
その役割分担において、エサを獲得してくるのは男で、その男に女が
養われるという関係が、男が女に従順さを求め、また、女が男を選択
する際に、男の「あり方」を作り出していったように思える。

その結果、「可愛いく振る舞うのは女で、無口で堂々としているのが
男である」というような、一種、男女別の振る舞いの区別を生んだよ
うに思える。しかし、私には、この「振る舞いの性差」は、「肉体の
性差」とは違って、生得的なもの(生まれながら)ではなく、どうも、
生まれてから作られる「二次的な性差」ではないかと思えてならない。

昨今、社会経済的な考えからか、平等という大義名分を拡張した、全
てにおいて男女平等を唱え、古来、役割分担で、育児に専念せざるを
得ない時期の女性までもを、労働力にかり出すということが行われ、
マクロ社会的な人件費削減を促しているように思えるのだが、そのよ
うな社会にあっては、この二次的な性差の獲得は、かなり男女という
人間全体に苦しみを与えるような気がしてならない。
                    (男女平等の善悪は別)

つまり、この女性は女性らしく、男性は男性らしくという、「振る舞
いの性差」が、もしも、育児とかエサ獲得の二次的な役割分担から生
まれたのであれば、役割分担を少なくしようとする社会にあっては、
もはや、二次的な性差(男女の振るまいの差)は、失われて当然のよ
うに思える。
この様な二次的な性差の変化が起きると、女性は女性らしくする必要
がない社会にあって、女性は女性らしく「可愛い振る舞い」をするこ
と自体が、女性の自己の中にも矛盾を起こし、男性は男性らしく「男
らしい振る舞い」をすることによっても、男性に矛盾を誕生させるよ
うな気がしてならない。

「肉体的な性差」が、社会制度によって均一化された社会にあっては、
その社会的な役割分担から生まれていた「二次的な性差」は必要なく
なることから、この「二次的な性差」である、「性的な振る舞い」の
差も均等になって行くのではないだろうか。

どうも、私は、そこにイメージ・ミスが生まれてくるような気がして
ならない。

本来、女性は可愛くないのに、また本来、男性は強くはないのに、人
が依然として異性に「性差的な振る舞い」を求めると、イメージ・ギ
ャップが起こり、そのギャップによって、女性も男性も、異性に対し
て、あるいは同性に対して、または自己の性に対して、苦しみが生ま
れてしまうように思えてならない。

−−−−−−
ここで、イメージ・ミスについて考えてみたい。
火を、火打ち石から起こしていた時代ではない文明社会では「火」に
関して、私たちがイメージするのは、ガスコンロの上の煮炊きの「炎」
であったり、ファンヒーターの小窓からのぞく、閉じこめられた「火」
であったりする。それは、とても便利で暖かな「火」というイメージ
でしかない。
だが、その「火」のイメージは、文明社会が生んだイメージであって、
昔の人の「火」に対するイメージは、「物を焼き尽くす」「人に火傷
を負わせる」など、怖ろしいイメージであったはずである。
この今と昔のイメージの違いは、単に人のイメージの違いであって、
本来「火」は、今も昔も違っているはずがない。つまり、文明社会に
おける「火」へのイメージは、本来の「火」の性質の一部でしかない
ことから、「火」に対するイメージ・ミスということになるのではな
いだろうか。
安全な器具を使う私たちの「火は便利で暖かいもの」というイメージ
は、私たちに、とんでもないことが起きる可能性を与えてしまうよう
な気がする。
この「火」に対するイメージ・ミスの例は、水に対しても、また人間
に対してもあり、同様の事を起こすと、私は思う。

−−−−−−
イメージ・ミスが起きる原因は、それがイメージする者にとっての都
合から生まれるのではないだろうか。
火は暖かなもの、人はやさしいもの、親はやさしいもの、先生は立派
なもの、というように、「こうあるべき」「こうあって欲しい」とい
う、自分の心に安心感を与えるために、この様なイメージが生まれて
いるような気がしてならない。

−−−−−
しかし、私は、逆に、この「心に安心を与えるイメージ」が、実は
「心にダメージを与えるイメージ」になっているような気がする。
もしも、人は怖ろしいもの、社会はきびしいもの、親は勝手なもの、
学校は理想的ではない場所などと、「心に安心を与えないイメージ」
とした場合には、実際では、決して「心にダメージは与えないイメー
ジ」になる。

こう考えてくると、「安心」を与えようとして、子どもなどに「理
想的なイメージ」を持つことを促すと、それはかえって「ダメージ
を与えるイメージ」を作り上げることになってしまうのではないだ
ろうか。。
さらに、「癒し社会」という現象が、今、日本の社会でははやって
いるようだが、傷ついた人間に対して、社会、あるいは人間に安堵
感を持つように「安心」を与えると、それはイメージ・ミスに繋が
る場合があり、さらなるダメージを人に与えてしまう危険性がある
ような気がしてならない。。
私は、物事に取り組むときにも楽観的な気持ちを持って取り組むよ
りも、少しだけ、警戒をしたほうが、失敗したときのダメージは少
なく、成功した時の喜び(心の栄養)は多くなるのではないかと思
っている。
私は「人間は悪い存在」「人間社会は悪い」と言いたいのではなく、
「人間はよい存在」「人間社会は良いものだ」と、心を癒すために
決めつけようとすること自体に、ダメージ性の仕組みが出来上がる
こともあると言いたいだけである。

−−−−−
話を男女の事に戻すと、、、
私は男性なので、男性に強く言いたい。
「決して女性は可愛い生き物ではない!!!」と。
男性は、そうイメージして、イメージ・ミスによって、女性から
ダメージを受けないようにしなければならないと、私は思う(笑)


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ゲンゴロウ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
    ■本の紹介【人間物語】−存在・時間・意識−■
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm

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