[BlueSky: 3362] Re:3358 宗教と科学と法律と哲。。。。


[From] HIROKI Masato [Date] Tue, 29 May 2001 18:04:14 +0900

ゲンゴロウさま、みなさま

広木@腰痛モードです。
年だろうか...(T_T)

> すんごく、関係なく、くだらないこと聞きますが、、
> キリスト教徒でなくても基督教大学にいられるんですか?
> 前々から、不思議だった。。。
> (私の勝手なイメージによる素朴な疑問・・・)

わたしは「研究員」なる居候なので、関係なくてもいられるのです。
常勤の教員は一応全員、切支丹(のはず)です。
もっとも最近では、切支丹系の学校でも、
クリスチャン条項をなくしているところが多いらしく、
うちのところは珍しい例になりつつあります。

> その過程(道筋)の向きが、ある方向に一直線のように、
> つまり「なんでだろう崇拝」の様に私には、感じます。。。

う〜ん、まぁ、そういうものですから。

> ただ、その「なんでか?」を考えるプロセス自体に、
> 方向性があることを、私たちは知るべきだと思います。

それは、「論理的整合性」ということだと思うんですが。

> その方向性の存在を知るためには、、他の方向性を考えると
> 分かりやすいかもしれません。。
> う〜んと、、、、
> 例えば、、
> 「なんでか?と考えない方向」もあるのではないかと。。。

それはもはや科学ではないような...
まあ、すべての人が同じことをする必要はないわけで、
考えない人がいてもそれはそれでありですが。
「科学」ということから離れれば、
流行を追って生きていても成功する人はいるわけですし。
(↑なんかネガティブな書き方なんですけど、
 いいたとえが今思いつきません。
 念頭にあるのは性選択の「copying behaviour」です。)

> >既に築き上げられた知識体系は科学の成果かも知れないけど
> >科学そのものではないし、
> >知識体系を学ぶことはやはり「科学」ではないと。
> >(むろん、前提としては重要でしょうけど。)
> >逆に、世の中の事が全て分かっているのなら、
> >科学なんて存在し得ないのではと思うわけです。
> >また、宗教と対立するものでもないと思います。
> >宗教は、「人はいかに生きるべきか」。
> >信心深い偉大な科学者、はたくさんいらっしゃると思います。
>
> こういう意見が出るということは、
> やはり、私の書き方が未熟なのでしょう。(かなり反省)
> 私、宗教も科学も、否定する気持ちは毛頭ないのです。

わたしもゲンゴロウさんが、
宗教や科学を否定していると言ったつもりはありませんでした。
むしろ尊重していると思っています。
書き方が悪かったでしょうか。

> 「宗教と科学と法律」については、目が覚めたときに出てきたのですが、
> 朝、目が覚めたばかりの私の脳が想ったことは、
> 「宗教も、科学も、法律も、なんか、まったく同じじゃないの?」
> です。

「人間活動の結果」という意味では一緒ですね。たしかに。

> しかし、それらが融合(うまく混ざること)ができない現実はあるわけで、
> 「その混ざり合えない現実」に対しては、かなり、否定的です。
> 「なんとかならないの?!」と。。。

「まぜる必要」が、あるのでしょうか?
むろんお互い大きな影響をもつものと思いますが。
「互いに良い影響を与えよう」という意味なのであれば、
それは重要であり、個人個人がしっかり考えるべき問題であると思います。

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広木眞達(HIROKI, Masato)
国際基督教大学生物学教室加藤研究室
〒181-8585 三鷹市大沢3-10-2
TEL 0422-33-3269 (加藤研究室)
email address:hiroki@icu.ac.jp
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