[BlueSky: 336] Re:327 複合生物


[From] Ken Goto [Date] Sat, 07 Aug 1999 13:02:00 +0900

げんごろうさん、須賀さん、青空MLのみなさん
                      後藤@帯畜大です。

須賀さん【327】:
> >源さん【326】:
> > 仮に,このように人間を考えることができるならば,
> > 人間の行動(存在)を促すものには,「初期生物の命令」と
> > 「動物の命令」「精神存在としての欲求」という三つがある
> > ことになります。
>
> むずかしいお話だなあ。わたしは大学で生物学を勉強し、今もそれに
> 関係する仕事をしていますが、こんな壮大な話になると、完全にしろ
> うとになってしまいます。このMLにどなたか、適切なお答えかアイ
> デアをおもちの方がいらっしゃいますでしょうか?
>
> 「複合生物」という発想は、とても面白いと思います。でももう少し
> 具体的にしりたいな。こういうアイデアの面白さが、自然界で観察で
> きる現象と直接どんなふうにむすびつくのかにわたしは興味がありま
> す。
>
> たとえばわたしが今しりたいと思うのは、うえにあげられた3つの命
> 令・欲求のあいだの関係です。この3つは、概念だけでなく存在のレ
> ベルではっきりと区別できるものなのですか? それとも、もっとあ
> いまいで連続的なもので、相互にからみあっていて、動物の種類ごと
> にちがった仕方で実際には存在してるようなものなのですか? 前者
> なら高度すぎてわたしの理解の範囲をこえています。後者ならわたし
> でもなんとなくイメージがわいてきます。

ここは、人間の脳機能を想定すると分かりやすいのではないでしょうか?

源さん【326】:
>  たとえば,性欲は初期生物の存在欲求からくる命令で,
> 食欲は動物としての欲求,「語らい」は精神生物としての欲
> 求ではないかと。

げんごろうさん、お久しぶりです。

初期生物の命令+動物の命令=脳幹・視床下部の機能
精神生物としての欲求   =大脳新皮質(新哺乳類脳)の機能

これに、
喜怒哀楽         =大脳辺縁系(旧哺乳類脳)の機能

を付け加えれば、人間的欲求を理解するための一つの枠組みが出来上がるでしょ
う。

須賀さん【327】:
> 源さん:
> > そこで,「子どもを産む」ということを考えますと。。。
> >
> > 子どもを産まない社会(国)を考えるとき,
> > その社会(あるいは組織)が精神生物的人間が
> > 多い社会(環境)になっているかもしれないと,考えられ
> > るのではないかと思います。
>
> これは、肉体的な存在への欲求がみたされたので、精神的な存在への
> 欲求の部分が拡大している、という意味ですか? もしそういう意味
> に理解していいなら、現象面ではもしかしたらそういうことがあるの
> かな、という気がします。しかしそれを生物学で説明できるのか、と
> なると、わたしにはわかりません。あるいは、ほかの分野の学問なら
> できるのでしょうか?

源さんの場合、上に挙げた3つの機能を独立・分裂させているニュアンスがある
ので、一般的には理解しづらくなっていると思います。

3つの機能が、それぞれに独自の機能を営みながらも、全く無関係には存在せず、
機能的に上手く統合され、調和した「一つの」機能を営んでいるのが、われわれ
が実感する脳の働きだからです。

源さんの主張が依拠している社会現象の一つは、教育が浸透し高学歴化が進んだ
社会では少子化が進んでいる(出生率が低下している)ということだと思います。

これを、大脳新皮質系の機能が優位になっている人たちの集まり、と源さんは捉
えていることになっているのだろう、と僕は想像します。

しかし、現実問題として、どのような文化的風土にあろうと、三つの機能の関係
の仕方にヴァリエーションは生れない、と思います。原始社会であろうと、現代
先進諸国の社会であろうと、新皮質の働きの「強度」には違いはないであろう、
ということです。違っているのは、新皮質が「興味」を向ける対象が、文化的風
土や、個人差に応じてさまざまである、ということだ、と思うわけです。

ただ、確かに、新皮質系に入ってくる情報が、現代先進諸国ほど多種多様で量的
にも圧倒的である、という違いもあります。「子供を産まなくても、他にもさま
ざまにしたいこと、できることがある」という選択肢はものすごく多くなってい
るのは確かですね。

ただ、逆に、この情報過多が現代的ストレスを与えるだろう、ということも恐ら
く真実で、、、このストレス(自覚していようといなかろうと)によって、「産
みたくない」と思う割合も高くなっているだろう、という側面もあります。

・・・つまり、二重の意味で「産みたくない」という気持ちを起こさせやすい側
面が現代先進諸国にはある、ということです。

源さん【326】:
> 精神生物である人間は,隣の家の子どもが泣くのをただ
> 「うるさい」と感じているだけでなく,その子どもが心
> 配で思考を邪魔されるからです。つまり,動物的な「他
> の子どもを養育せよという命令」と「精神生物的な思考
> をせよ」という複合生物の命令が矛盾を起こすからです。

ここは一瞬、考え過ぎかなと思いましたが、的を射ているようです。
隣の子供の泣き声は単なる雑音(騒音)ではない、という御指摘ですね。

生物学的な言葉に翻案すると、隣の子供の泣き声は、哺乳類的本能(ここでは育
児本能)を呼び覚ましてしまうから、単なる騒音の場合よりも、思考中断効果が
高い、という御指摘でしょうか?

ここは多分に「隣の子供」に対する愛着度、愛情の強さにも依存する部分でしょ
う。我が子、我がペットであれば、思考中断効果は「隣の子供」の場合よりも明
らかに高い。

源さん【326】:
> 集団性物化した人間は,集団の一部分ですから,集団の
> 存続が第一欲求になり,自分の子どもの「養育」などは
> 問題外になります。(すでに,そうなっているかも・・)

人間は群れ動物ですから、何らかの集団に帰属しているのは確かです。その集団
にも大小さまざまなものがあり、また抽象的な集団もありえます。

「集団の存続が第一欲求」に、本来の意味でなることはありえないと思います。
集団生活の中で、最も強い個人欲求は、自己防衛本能=なわばり防衛本能であろ
う、と思うからです。

神風特攻隊の少年が敵艦に飛び込む時でさえ、おかあちゃ〜ん、と泣くものです。
集団としての欲求というか、社会的圧力を、個人が100%同化したなら(完全
に洗脳されたら)、源さんのおっしゃる通りなのかもしれません(オウムを想定
しているのですか?)。


後藤 健
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