[BlueSky: 3355] Re:3348 宗教と科学と法律と哲。。。。


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Sat, 26 May 2001 12:03:35 +0900

葛貫です。

ゲンゴロウさんwrote:
> > 分かることなんか大切じゃない!
> > 絶対に分かり切ることなんかできないのだから。。。
> > 大切なのは、なにもかもが、むずかしくて、
> > 誰も何も分からないということを
> > 誰もが理解することなのさ!

佐川さんwrote:
> そのことをしっかり理解するためには、「考える」という
> 経験をしなければいけない・・・・

私は、中学・高校の6年間、ミッションスクールにいたのですが、
そこでの教育のベースにあったのは、「安直に信じないで、自分で
考えなさい。満場一致で賛成ということは、あり得ない。そのような
ことが起こった場合、語られていない、語ることを許されなかった
ことがあると思って、まず間違いない。」ということだったように
思われます。

#新渡戸稲造や内村鑑三の流れを汲む無教会派の学校でした。
#「形式や、権威を持つ指導者をつくり出さない」という、宗教らし
#からぬ形式を守ろうとしている二重の不自然さを持っているとも
#言えるのですが (^_^; 。

分かり切ることができないことを承知の上で、一応、客観的と思える
科学的なデータを基に自身で考え抜いて、自分の志向性を自覚しつつ、
その時点で最善と思えるものを選ぶことができれば、「よし」なのだと
思います。


遠藤周作は「沈黙」という小説の中で、信じる者が思い描いている
「神」の存在を証明するための都合の良い奇跡を起こしてくれる「神」
を書かなかった。
「自力を尽くして、結果に直面する」、「自力を尽くして、最善を祈り、
得られた結果が自分の思い通りであろうと、なかろうと、それが最善で
あったと“信じて”受入れ、そこから、また次を考える」
尽くせる自力は同じだとすると、後者の方が心が穏やかだろうな、
宗教の効用は、このような処にあるのかもしれないと、時々、思います。

#認識できている範囲の有限さについてはわかっていても、我が強いので
#“信じて”受入れるなんて、私にはできませんが(笑)。

話がズレてしまいました。済みません。



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