葛貫です。
鈴木さんwrote:
> 一方で、登山者に対しては「高山植物を大切に」といっている人が、自身の資格
> (?)を特権のようにして花の中へ入っていっているというのは、どうにも解せませ
> ん。
> 中には、より自然(この場合は高山植物ですが)に近づくために「自然保護・愛護」の会
> に入る人もいるそうです。
> 「自分たちは保護している」という方々が入り込んだがために、ある動物の生息地が荒
> れてしまったという話もあるということですから、何をかいわんやです。
> 結局は、年齢・性別を問わず、他人はだめでも自分は良いということなのでしょう
> か。
皆がそうではないと思うのですが、興醒めな話ですね。
「大切に思っている」という自分の気持ちが勝ってしまって、
そのものを保護するために保つべき距離感が失われてしまう。
「狎れ」のようなものもあるのかもしれないと思います。
自然保護系の「〜の会」みたいな人が集団で来ている場所に、
行き合わせてしまうと、ご一緒させて下さいというより、
別に日にすればよかったと思ってしまう由縁は、こんなところ
にあるのかもしれないと思いました。
邑瀬さんwrote:
> 本来は植物を愛しているはずですから。
「とっていいのは写真だけ、残していいのは足跡だけ」という
看板をよく見かけます。多分、このルールは守っているわけで、
大切に思う気持ちは十分にあるのでしょうね。
知識の量の違いによる、かかわり方の違いのようなものって
あるのかもしれないと思いました。
家の門の横の照葉樹が覆いかぶさるように勢いよく新芽を吹き、
通る時に邪魔になったので、植木屋さんに頼むほどではないし、
と自分達で枝を切ることにしました。
え〜い、切っちゃえ!と結構、思い切りよく切っていたら、偶然、
通りかかった植木屋のお兄さんに、「か・可哀想に・・・。
切る時期とか、切る位置とかあるのに。」と言われてしまいました。
悪気はなかったけれど知っている人からみると、ものすごく乱暴な
ことをしていたわけで。だいたいこの木の名前も知らなかった。
> 水崎さん:
> > もっと、余裕を持って全体の事を考えて、楽しむ事ができないのでしょうか?
> > 良く最近の若者は、、、、って言われますが、
> > 我慢のできない生活を送っているのは、高度経済成長を支えた世代ではないかと、
> > ふと思う、今日この頃です。
須賀さん:
> わたし、実は、ず〜っとまえからそう思っています。
高度経済成長を支えた世代は、若い頃は、我慢して馬車馬のように
働いて、お金ためておいて、定年になったら楽しもうというという
シナリオで人生生きてきて、それを実行しており、何で、これ以上
我慢しなくっちゃいけないんだい、という気持ちがあるのかも。
溜め込んだ分、自分自身を楽しませることに対して貪欲とうか・・・。
友人と「最近の若い子は・・・」なんて話している年齢になって
いる自分に気がつくのですが、自分達より、もう少し若い世代は、
もっと脱力的(?)に我慢しない生活を送っているように見えます。
どちらにもなれず、です。
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