[BlueSky: 330] Re:320 子どもの数 


[From] Ken Goto [Date] Sat, 07 Aug 1999 01:10:29 +0900

長峰さん、須賀さん、みなさん
                    後藤@帯畜大です。

須賀さん【320】
> 長峰さん:
> > そう思います。でも、大変だから子供を作らない人は、生物的には淘汰される
> 対象と考えていいのかな?今1人目と2人目が認可保育所に行っていますが、市
> に納める保育料が値上がり続け、8月についに10万円を突破してしまいました。
> 子供が作りにくい社会も淘汰されていくのでしょうけど。
>
> う〜ん、そういう言い方もできるのかもしれませんね。わたしには、長峰さんの
> このご発言の真意がよくわからないのですが、ただ、生物現象としてみたときに
> 「淘汰」がそこに生じているとしても、それは社会的な価値判断の対象としての
> 「よしあし」の問題とは区別して考えた方がいいのではないでしょうか。生物学
> でいう「淘汰」はただ「なりゆき」としておこる自然現象を表現するための言葉
> にすぎず、本来「いい」とか「わるい」とかいう社会的な価値判断をこめたもの
> ではないと思うのですが。

長峰さん【322】の補足説明からすると、ここは純粋に客観的な視点での「淘
汰される対象」という(価値判断を含まぬ)表現なのだと思います。

須賀さんの危惧は、「淘汰」という言葉の生物学的意味ではなく、世間で通用し
ている通俗的意味からすると、価値判断を与えてしまう恐れのある表現かもしれ
ない、ということでしょう。

・・・生物学者は気軽に価値判断抜きで表現しますが、、、というか、価値判断
抜きで表現するのが常套なので、、、その見解の社会的受容のされ方に思
い及ばない傾向があるかもしれませんね。世間では「価値を込めて」理解
する傾向がとても強い。「半分嫌みのつもり」で、軽い冗談、半ば高い保
育料に対する愚痴に過ぎないけれど、そして「淘汰」という言葉に深い意
味はなかったのだけれど、世間はそうはとらないかもしれないので、念を
押したかったというのがきっと須賀さんの御気持なのでしょう。

事実、僕自身は、本当に淘汰されるかな、という学術的な興味は抱きまし
たが、そういう危惧はもたないおっちょこちょいで、いつも失敗します。

和尚にも散々窘められましたね。

いずれにせよ、僕の方は、生物学的妥当性の方を問題にしてみます。自然淘汰は、
ご存知のように、遺伝的形質でなければ作用しません。では、「大変だから子供
を作らない」という思考態度は遺伝的形質でしょうか?僕は、それも効いてくる
けど、その遺伝的傾向をひっくり返すほどの後天的形質の方が大きく効いてくる
のではないか、と思います。

・・・個人的快楽を求める嗜好性、こども嫌い・こども好き、、、にはある程度
遺伝的形質が効いてくると思いますが、そうした遺伝的傾向の強弱よりは、
養育環境や知識の方が強く働いている可能性の方が大きい、と思うのです。

言い換えると、個人的快楽を求める嗜好性が(遺伝的に)より高い人でも、
後天的にその嗜好性がより低くなる可能性がある、ということです。

須賀さん【320】:
> 人間がもっているある行動の傾向がもし仮に「淘汰」されるとしても、そのこと
> は、それ自体では「いいこと」だとも「わるいこと」だともいえないのではない
> でしょうか。

自然淘汰として、その「行動傾向」が「歴史的に」減少していく時、それは「人
為」の及ぶ範囲ではありません。

・・・善悪は、何度も申し上げるように自由意志による選択が可能な局面にのみ
関係しているというのが僕の基本的立場です。選択肢を選ぶ自由がある時
にのみ、善悪の判断が必要ですが、そうでないときには行動の自由がない
のですから、その通りにせざるを得ない。

しかし、人為淘汰には、善悪の判断の余地があります。

ただ、須賀さんの真意は、「個人としての」価値判断を問題にしているのではな
く、社会的に認容すべきかいなか、という問題を設定しているのでしょうか。も
しそうだとすると、「淘汰」をもちだすと話が混乱します。

「大変だから子供を作らない」という行動は、個人の自由意志の裁量範囲の問題
だからです。

・・・もちろん戦時中であれば、産めよ殖やせよ、が社会的規範とされてしまい
ますが。

純粋に倫理的には、周囲が干渉してはならない選択肢であって、社会的に認容す
べきかどうかという問題設定自体が「お節介」になってしまうような気がします。
それは淘汰される・されないという「問題以前」の問題なので、、、「淘汰」を
引き合いに出すと話が混乱する、かなと思うのですが、どうでしょうか?

・・・「淘汰されるにしても社会的に認容すべきかいなかは、なんとも言えない」
のではなくて、その問題は、社会的に認容すべきかいなかという問題設定
をそもそも行うことの出来ない、「個人の自由」の問題なのだ、というこ
とです。


後藤 健
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帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

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