葛貫です。
野池さん:
> こうして語る古老(もう亡くなりました)の言葉からは、
> サンゴ礁に打ち砕ける波の音が聞こえ、
> 潮の臭いが伝わり、
> 人々の涙や汗も見え、
> まさに風土に根ざした歴史の重みを感じるのでした。
> それは同じく自然を語っても何も感じさせない環境担当役人言葉と
> 対極にあるのもです。
私は、東京の大田区という所で育ったのですが、祖父は東京湾で
海苔の養殖をしていました。収穫した海苔が干してある前で撮っ
た写真が残っています。庭にはぶどう棚や柿の木があり、祖母が
ネギ、トマト、ナス、キュウリ、キャベツ、コマツナ、トウモロ
コシ、枝豆、玉ねぎ等々を、家族が食べる分くらい育てていました。
トウモロコシや、コマツナは、全部食べてしまわないで、来年蒔く
ためにと、種子を取る分、残していました。トウガン等、食べた
あと、種子を畑に放っておけば、次の年、勝手に生えてきた。
井戸があって、その水で洗い物をしたり、スイカを冷やしたりし
たことも覚えています。隣の家も同じようなものでした。
東京湾が埋め立てられ、下水道が整い、井戸は枯れ、祖父母は
年老い、父は公務員でしたので、畑だった所にはマンションが建ち、
いつの間にか、今様の生活をするようになってしまいましたが・・。
40年足らずの間に、これだけ生活が変わってしまったんですね。
> 100年後、200年後に頼るべきものは何なのか、
> そういう自問を繰り返します。
・・中略失礼・・・
> 農業をどう維持するかも大切ですが、
> 耕地をどう維持するかはさらなる優先課題ではないでしょうか。
> 「定年帰農」(「現代農業」の別冊)なんていう雑誌が売れました。
> これもひとつの道ではないかな。
そうですね。
> 「いざ」というときに頼れるものをもっていることは、
> 大切ですよね。
> でもそれが何のか、そこをはっきりさせておかないと。
> つまり経済なのか、軍隊なのか、自然なのか、信頼なのか、なぞと。
このフレーズを読んで、映画の「風と共に去りぬ」の一部の終わり
のスカーレットが、戦乱のアトランタから故郷のタラに帰って来て、
畑から小さな大根のようなものを引き抜き、貪るように食べて、
神さま、お聞き下さい。
わたしは、この大いなる試練に負けません。
家族に、二度とひもじい思いはさせません。
きっと、生き抜いてみせます。
そのためには、嘘もつき、盗み、騙し、人をも殺すでしょう。
神さまに誓います。
二度と飢えに泣きません。
と言うシーンを思い出しました。
「いざ」というとき、自分が守ろうとするものは何なのだろう、
とも思いました。
では。
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