[BlueSky: 3226] Re:3221 春の雑木林


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Wed, 11 Apr 2001 19:07:23 +0900

こんにちは、葛貫@神奈川です。

ソメイヨシノは散り、遠くにある八重桜の木が、ぼーっと、
ピンク色に見えてきました。
日曜日は近くの子安神社の春祭りで、白い梨の花が満開の道を
子供達がお神輿をかついで、にぎやかに通り過ぎて行きました。

ゲンゴロウさん:
> 桜の花に集まる人は、、花見で集まるのか、、
> それとも、人が集まるから集まるのか。。。

両方なんでしょうね。
たった1週間ほどで散ってしまう花を愛で、
その花を愛でる人を愛でる、という感じでしょうか。

> 花を見ると、むしって、、食べたくなる。。

ちょっとゲンゴロウさんとは、感覚が違うかもしれませんが、
桜の花を食べるということで、結納の時や、結婚式の朝に
うちの何処にこんな器を隠してあったの?と思うような器で
出された白湯の中にふわりと浮かんでいた、桜の花を思い出
しました。丁度、葉桜になった頃だったので、桜の花って、
こんなふうに、とっておくことができるんだ、お祝いごとの
ために、春を封じ込めて置くことができるんだと思ったこと
を思い出しました。桜餅の葉っぱが、本物じゃないと興醒め
ですし、単に栄養素を取る、というだけではなく「食べる」
という行為に、一種の遊び心があった方が楽しいと思いました。

そう言えば、もう何年も、よもぎだんごを作っていません。
一緒に、よもぎを摘みに行って、熱い、熱い、と言いながら、
おだんごをこねるなんて、小さな子供がいるうちの楽しみなの
かもしれません。末っ子は、皆で作ったよもぎだんごを食べた
記憶がないかも(笑)。

> >カサカサと音を立てます。寛いでいた(?)カエルが飛び
>              ↑
>             (ダメだ、、読めない。。)

「くつろいでいた」です。
ワープロ使ってなかったら、ひらがなのままですね(笑)。

> 我が家の狭い庭にも、緑や白黒の鳥が来ますが、、
> 名前が、ぜんぜんわからない。。
> でも、私は、、それでもいい。

仲間と観察会を開いていた学生の頃、参加者にいきものの名前を
覚えてもらうのではなく、sense of wonder、わけのわからぬ点々
の集まりに見えていたものが、奥行きのある絵が隠されていた
3Dであったことに気付いた時のような驚きや喜びを味わって
もらうにはどうしたらよいのか、がよく話題になりました。
馬を水場に引っ張ってゆくことはできても、水を飲ませることはで
きない。感じることは、自分でしてもらうしかない、難しいですね。

でも、ただのヒトではなく、名前を知っている人については、
それなりの気を使うように、ただ鳥というより、メジロとか、
シジュウカラとか、名前を知っていた方が楽しいし、その増減や
変化に気を付けるようになるのでは、と思います。

イギリスではスズメが減ったそうですね。
「スズメなぜ消えた 英国で9割減」
http://www.asahi.com/science/news/K2001040500592.html

> 誰の庭だと思ってるんだー!!

鳥達は、自分のなわばりに、ゲンゴロウさんがいるのに放って置いて
くれているのかもしれません(笑)。

あと、梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」、読み終えました。
一読しただけなので、理解不足な状態だと思いますが、
文明論は東洋と西洋の対比で語られることが多いけれど、どちらにも
属さない「中洋」といえる中国、インド、ロシア、トルコ等の四大帝
国が栄えた地域があり、この地域は資本家が育つ余地がある封建制度
を経ないで、無理と歪みを内在させながら専制君主制からいきなり
近代資本主義へと、移行しようと四苦八苦している、という観点、
認識の議論は、“べき”の議論ではない、というところ、
高度産業化社会では、産業や実業と政治の絡み合いが重要になり、
所謂、政治家に成り損なった(笑)文化人的インテリが知識人が、
文明の進歩に対しては、意外に保守的、あるいは場合によれば反動的
な役割を果たす、という観点等、面白いなと思いました。

1950年代に、これだけのことを考えた人がいるということに、
大きな驚きを感じるとともに、現地に行き、そこの空気を味わうことの
大切さのようなことをあらためて思いました。

では。

最近、週末はサーバーの調子が悪いような気がするのですが・・>管理人様



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