[BlueSky: 3168] Re:3165- ミーム


[From] Ken Goto [Date] Wed, 21 Mar 2001 19:50:11 +0900

後藤@帯畜大です。

毎度のことですが、長文で申し訳ありません。

須賀さん【3165】:
> 後藤さん:
> > 擁護していない点を一つだけでも例示していただけると、須賀さんのご
> > 意見をもう少し理解できるかもしれません。
>
> こんなめんどうな話にまきこむところです(笑)。
全く同感です。
僕には須賀さんを巻き込む意図はありませんでしたので、この点申し訳
なく思っています。ただ、須賀さんは、僕の趣旨とはかけ離れたところ
で反応してしまいました。

・・・僕は、「利己的な遺伝子」の書評を述べてきたわけではないので
す。

乗り物論観、異次元な事柄の同格化のからくりなど、僕が本質的な部分
だと考える事柄については、「表現をあげつらって」と揶揄するだけで
した。

・・・たとえ、それが須賀さんにとって本質的ではないことであったと
しても、あの本の社会的影響力の主要な側面である、と僕は考え、
それを主張してきたわけですから、その線に沿ってご反論いただ
きたかった、と思っています。

> 僕には期待しないでくださいね。
> 「行動生態学界には期待」という言い方そのものがいやです(笑)。
> ご自分で案を出してください。
不快な思いをさせてしまって、ごめんなさい。
行動生態学界には社会的責任があるはずだ、と言うべきだったかもしれ
ませんね。ただ、僕は行動生態学界の門外漢なので、そこまではおこが
ましくて言えませんでした。また、純粋に一般人(納税者)の立場から
すれば「社会的責任」を問い、また期待してもよいでしょう。
・・・僕は門外漢として一般人に近い立場にあります。ただ、生物学者
として、「純粋に」一般人とはいえないだろうと思ったのが、苦
しかったところです。

須賀さんがおいやなのは、須賀さんのご自由ですが、社会的インパクト
の強い学問分野の人々には、当然、それだけの社会的責任がある、とい
うことはお認めいただけていると思います。

> 後藤さんは「功績」というとらえかたをされているんですね・・・。
> 僕は単に、後藤さんが問題にされた「利己的」ということばの
> 生物学上の意味を理解するには「啓蒙」の面をみないといけ
> ないのではないかという趣旨でいっただけです。
> それが後藤さんの問いかけでしたからね。
そう、括弧付きの「功績」ね。社会的効果の主要な側面、という意味合
いで用いました。

なお、↑の趣旨は理解できません。
僕は、【「利己的」ということばの生物学上の意味を理解するには「啓
蒙」の面をみないといけない】などという趣旨を打ち出したことは一度
もありません。この趣旨が須賀さんのものであることは理解できますが、
生物学上の意味を理解するために「啓蒙」の面をみることは全く不要で
しょう。情報の流れは、生物学から啓蒙へ、なのですから、須賀さんの
趣旨に沿った捉え方は論理的に不可能でしょう。

> それが後藤さんの問いかけでしたからね。
↑の「それ」が何を指しているのでしょう?

啓蒙と生物学という関係で言うと、啓蒙するうえでは、生物学上の意味
を踏み外してはならない、というのが僕の趣旨です。

・・・もちろん、ドーキンスがそれを踏み外している、などとは僕は一
度も言っておりません。伝達過程で踏み外す(ま、ミームという
言葉を用いれば、ミーム変異率を高めやすい)危険性を冒してお
り、その危険に自らも陥ってしまった箇所がある(つまり、危険
率がそれだけ高い)、と指摘したわけです。

なお、ドーキンス思想(乗り物論)は生物学ではなくて思想です
から、議論の次元は異なります。が、ここで繰り返すことはしま
せん。

> 須賀:
> > > 後藤さんが問題にされた「利己的」とはどういう意味か? と
> > > いう問題にこたえるには、それらのもとのアイデアにさかのぼって
> > > 考えるのが理にかなっているのではないでしょうか。このこと
> > > と切り離して、日常的な意味とのつながりだけを問題にしたのでは、
> > > あきらかに不十分ですし、誤解をとくことにも役立ちません。
>
> 後藤さん:
> > 日常的な意味をもっているからこそ、利己的な遺伝子と命名したのでしょ
> > う?日常的な意味合いを彷彿とさせる用語でなければ、社会的混乱は招
> > きませんよ。社会的インパクトを狙った言葉だ、と僕は理解しています。
>
> ええ、それで、この混乱を今どうするのか、という話を僕は
> したわけです。後藤さんのおっしゃる「啓蒙」の方へ意味を
> もどしてがまんづよく説明するしかとりあえずはないじゃ
> ないかと僕は思ったわけです。「用語法をかえる」なんて
> みとおしもたたない話をしても今の役には立ちませんからね。
用語法の不適切性にはご了解いただけたものと判断します。

なお、学術上の用語はいくらでも改変可能であることを申し添え
ます。同じ用語の意味の変遷はもちろん、一つの現象を指す言葉
も移り変わっていきます。もちろん、それには紆余曲折が伴いま
すし、要因としても、内的・外的さまざまなものがあります。

> 後藤さん:
> > ははは。逆説めかした驚きによって社会的混乱を招く、ということをあ
> > げつらっちゃいけないんでしょうか?
>
> あげつらうのは結構ですが、それではドーキンスが言ったことを
> どう理解したらいいのかというあとしまつも考えてくださいね(笑)。
>
まぁ、あげつらったつもりはありませんが、須賀さんに「あげつらう」っ
て揶揄されたものですから、皮肉まじりにこの言葉を使ったまでです。

・・・僕の論理と倫理をあげつらうのは結構ですが、僕の論理を正面か
らあげつらって欲しかったと思います。僕が全く主張してもいな
いことを僕が主張したかのように作り上げ(生物学的決定論のこ
とね)、その非実在の主張をもって僕の論理と倫理を批判すると
いう行為を僕は望んでいません。

ところで、ドーキンスが言ったこと、って何ですか?僕は、「功績」の
ところでまとめ、それに対する反論を前に述べましたが、須賀さんが
「ドーキンスが言ったこと」としてあげたのはハミルトンとウィリアム
ズの理論を分かりやすく啓蒙したという点だけですよね?

で、僕は、その理論の啓蒙の部分は評価できるけれども、ドーキンスが
もっと伝えたかったところ、つまり肝腎な部分は「功績」の部分にある
との考えを述べたわけです。

須賀さんのお話からは、この「功績」部分に対するコメントをいただけ
なかったという印象が残りますので、このメールの冒頭で指摘したよう
に、僕の趣旨とは違ったところで僕に反論している、という印象を拭え
ないのです。

・・・確かに、僕はドーキンス批判を行いましたが、その批判点につい
てのコメントはいただけなかった、という印象をもっているわけ
です。

須賀さんが僕に指摘した論理の「一面性」も、僕が単に「利己的
な遺伝子」論の優れた側面を俎上にのせていない、ということの
ようですし、肝腎要と僕が考える点についてはノーコメントでし
たよね?

「ドーキンスが言ったことをどう理解したらいいのか」については散々
述べてきたつもりです。須賀さんがご指摘になった行動生態学のよい入
門書であることは十分認めています。念のため。なおそのうえで、ドー
キンス思想の部分、異次元なことがらの同格化の危険性などについては
十分な注意が必要である、と理解したらいいと思っております。

では、あとしまつ。この間のスレッドでの僕の主張を須賀さんの懸念す
る行動生態学者への政治的ハラスメントとの関係においてのみまとめま
す。

行動生態学者に政治的ハラスメントがおきるとしたら、それは、人間行
動の現実と深くかかわりうる学問なのだ、という誤解があるからでしょ
う。

・・・しつこく申し述べますが、行動生態学は進化的メカニズムを明ら
かにすることはできますが、生理・心理・行動的メカニズムを明
らかにすることはできません。

・・・しかしながら、ドーキンスが、進化的メカニズムの研究か
ら、生理・心理・行動メカニズムのどれかについて言及し
ていることは事実です。

また、葛貫さんとのやり取りで申し述べたように、進化的メカニ
ズム(ないし目的)を、行動原理にするかどうかはひとえに理性
による判断にかかわる問題です。

・・・ドーキンスの「専制支配に対する反逆」の箇所を誤読した
点については、改めてお詫びいたします。この点での読み
は須賀さんは正しいものでした。それで、ドーキンスも理
性による判断の重要性を説いていることが理解できます。

ただし、このことは、「専制支配に対する反逆」が自己矛
盾を来たしている、という僕の指摘を否定するものではあ
りません。話の筋からはマイナーな部分でしたが。

さて、これまで、「誤解」を一般社会の側に生ずるものとしての
み限定して用いてきましたが、行動生態学界の一部の中にもある
でしょう?少なくとも、ドーキンス自身、人間的モラルを引き出
している、というのが現実ですから。

その誤解を解く形の啓蒙こそ、行動生態学に求めらることではないか、
と門外漢の僕なんかは思うわけです。

・・・それには、逆説めいた驚き、に酔わせるような姿勢をを改めるべ
きだ、と僕は思います。おせっかいで申し訳ありません。もちろ
ん、内政干渉するつもりは毛頭ありません。まぁ、これまでのメー
ルで明らかなように、僕の力点は、誤解が与える社会的混乱を静
めたいというほうにこそあったのですからね。

・・・しかし、逆説もいつのまにか真実として錯覚してしまうこ
とがあることは、ドーキンスや日高さんの文章を引用して
例示しました。

つまり、進化的メカニズムを生理・心理・行動メカニズム
に単純に拡大適用しているのだ、と。【3128】もご参
照ください。

・・・もちろん、須賀さんがこの点を明確に区別していらっ
しゃることはよく存じ上げておりますので、ご心配
無用です。

仮に、「利己的な遺伝子」における「利己性」とい
う言葉が、進化的利己性というとても狭い意味で
(全篇において)限定されて使われていると考え、
また、↑の二つの次元の異質性を理解しているとす
るならば、「人間的モラルをひきだす」という文章
自体(考察姿勢)が成立しないのです。

この次元の相違を理解できない一部の行動生態学者が、社
会的問題について専門家の立場で(行動生態学的知見を援
用して)発言するとき、社会的混乱が生じてしまうでしょ
う。

・・・もちろん、この相違はないのだという「思想的」立
場もありうることは承知しておりますが、その「科
学的」妥当性を信頼することは僕にはできない、と
いうことです。次元が異なる限り、それは「論理の
飛躍」ですからね。

・・・もっとも、次元は異なっても抽象的な(形式
的な)同質性が認められる場合がある、とい
うことは事実です。つまり、少なくとも単純
系(複雑系ではない系)であれば、同じ方程
式で記述できる、ということです。

以上、僕が言うべきことはこのスレッドですべて申し上げてきたつもり
です。

須賀さん、ゲンゴロウさん、葛貫さん、広木さん、識さん。そして、こ
のスレッドに関心を寄せられた皆さん。面倒な話題で、ながらくおつき
あいいただき、まことに有難うございました。

後藤 健
=========================
生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

追伸: 
芽室セミナーに行って、久しぶりにいい汗かいてきました。和尚さん、
またお誘いください。

さて、これまでのドーキンスの引用箇所からも示唆されるように、「利
己的な遺伝子」で、彼は、行動生態学的知見に裏打ちされたかのような
文脈で他にも政治的発言を行っております。こうした、科学をイデオロ
ギー的に利用しようとする姿勢こそ、それが意図的であろうと非意図的
であろうと、僕は「懸念」します。念のために一箇所だけ引用しておき
ます。

【しかし、子供に対する生活保障の特権は決して濫用されるべきもので
はないのである(訳書185ページ)】

僕が、問題にしているのは、↑の「べき」という具体的結論の是非では
ありません。あたかも生物学的に裏打ちされたかのような「倫理」的結
論を提出している(葛貫さんとのやりとりでも問題にしたことがら)と
いう点がひとつ(これは、子どもの利他性と教育、に関する話でも触れ
ました)。もう一つは、こうした政治的態度(それがどのような党派性
のものであろうと、科学的言質を錦の御旗にした倫理的妥当性の主張を
行う姿勢)を改めない限り、須賀さんの懸念する「政治的ハラスメント」
を防ぐことは難しいだろう、ということです。

・・・もちろん、そうした態度をとることは個人の自由の領域の問題で
す。なにしろ、それは政治とイデオロギーの問題であり、科学的
真実の問題ではないのですから。

またもちろん、そうした態度が普及すれば、そうした態度の側か
らのさまざまなハラスメントが誘発されるだろうということは、
社会ダーウィニズムの例をあげれば十分に理解できることです。
(ただし、社会ダーウィニズムは、ダーウィニズムの誤解に基づ
いておりましたが、構図のうえでは同じです)。

須賀さんも僕もこの点では同意できていると思いますが、行動生
態学者に対する政治的ハラスメントを防ぐ、という点での方法論
なり哲学がどうも違っているようなので、僕の見解を表明させて
いただきました。


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