[BlueSky: 3141] Re:3128- ミーム


[From] "suka" [Date] Sat, 17 Mar 2001 22:03:21 +0900

後藤@帯畜大 みなさん

   須賀です

後藤さんは怒るかもしれないけど、「主義」も「趣味」
もおなじにみえてしまうおおざっぱな僕には、細かい
表現をのぞけば、後藤さんもドーキンスもほとんど
同じことを言っているようにしか思えないのです。

ちがいはほとんど言葉づかいの趣味だけ。

今手元に本がありませんのでまちがってるかもしれま
せんが、確かドーキンスは自分の本を「サイエンス・
フィクションのようによんでもらいたい」と冒頭でことわって
いたはずです。だからあの本の言葉づかいはSF の文章
としてよまないと・・・・。

だからこれは「科学」の話しではなくて「文学」の話しだと
僕は思っています。

ドーキンスのことばづかいに対する後藤さんの念入りな
詮索?をよんでもこの印象はまったくかわらないなあ。

例のミームのところを読んだのは十年以上前ですが、
こんなに穏当でリベラルで常識的な意見がなぜこれほど
さわがれるのだろうといぶかしく思いました。今もそう
思います。

あの本で「利己的」ということばが意味をもつのは、
次の2点においてではないでしょうか。

1.遺伝子のことなんか考えもしなかった昔の
「種のための自己犠牲」という考え方を批判し、
適応進化を考えるには遺伝子レベルの淘汰を
考えなくてはいけないことを強調すること。

2.個体の適応度と包括適応度を対比し、
前者では子孫の数が減るという意味で「利他的」
な行動が、後者では遺伝子のコピーがふえると
いう意味で比喩的に「利己的」といえるようなかたち
で両立する場合があることを示すこと。

これだけのことだと思います。

この論点に関する限り、「利己的」と「利他的」の対比は
はっきりしています。

まあ、僕は大学で行動生態学の講義をきき、教科書を
よみ、卒論も書いて、そのあとであの本を読んだので、
ふつうならひっかかるはずのところをなかば無意識の
うちに補正しながらよんじゃったのだと思いますが。

よみながら退屈したことをよくおぼえています。

ドーキンスなら『利己的な遺伝子』よりもその次に書いた
『延長された表現型』のほうが「文学」としても面白いと
思います。まえの本が誤読されたことへの反発が
人間的な魅力となってほとばしる本だと思いました。

後藤さん:
> ドーキンス「利己的な遺伝子」には、【しかしわれわれには、こ
> れらの創造者に刃向かう力がある。この地上で唯一われわれだけ
> が利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ。】とあ
> りますが、完璧な誤解ですね。
> ・・・【3095】でも指摘しましたが、ドーキンスは、人間は
> 本来(遺伝的プログラムとしては)、行動特性として、
> 「純粋に」利己的である、と考えており、利己と利他の矛
> 盾としては捉えていません。つまり、愛情もない、と考え
> ているわけです。で、それを「叩き込め」というとんでも
> ない指針を導いているわけです。

包括適応度を高めるように選択されてきた、ととらえてるだけ
ではないでしょうか。だとしたら、愛情がプログラムされていて
も少しも不思議ではありません。というか、ごりごりの行動生態
学者ならそう考えるのが当然です。

ただ、人間には文化もあるので、そのことを英語でわかりやすく
表現するためにミームということばを出したわけですよね。

で、さっき高校の生物の参考書をみてきたのですが、動物の
後天的に獲得される行動には「学習による行動」と「知能に
よる行動」があると書いてありました。

ミームは模倣による学習で身につけるものですよね。でも人間
の後天的に獲得する行動にはそれ以外のもの=「知性」もある、
とこの高校の参考書は言っていることになる。僕が高校生のとき
に勉強した教科書でもそうなっていたと思います。

後藤さんが引用されたドーキンスのうえの文をよんで、僕はただ、
そのことを思い出しただけでした。

「別のコンテキスト」とは今言ったようなことです。

もちろん学習がなければ知能も十分はたらかないでしょうし、
はっきりわけられるものではないかもしれないと思いますが。

ここで僕は厳密に科学的に考えてドーキンスの議論が異論の
余地のないものだといっているのではなく、むしろ常識的な
ことを言っているにすぎないのではないか、ということを説明
しようと試みていることにご注意ください。

後藤さん:
>飛びかう情報に対して批判的態度を貫く(一歩距離をおく)、という程
>度で十分なのではないでしょうか?

引用されたドーキンスの文も、ミームについてはこういうこと
をいっているのだと僕は思います。

「専制支配に反逆できる」といっているだけですからね。

勝利できるとはいっていないし、どのような形態の支配にも
反逆するということをすすめているわけでもありませんよね。

後藤さんのご意見とどこがちがいますか?









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