葛貫です。
後藤さん:
> ところが、国民の大多数は実は自由なんか求めていない、という芥川の
> 洞察は事実でしょう。自由には責任が伴いますが、わが国の、世を挙げ
> ての無責任体質を見れば明らかでしょう。つまり、国民の大多数にとって
> 「自由度」は小さいほうが居心地がいい、ってことですね。
それで、政治、経済、環境、いろいろなところで、破綻を来している
わけですよね。
> パンセの基調の一つは、人間の偉大と悲惨の矛盾を考察する点にありま
> した【人間は自分が惨めであることを知っている。だから、彼は惨めで
> ある。なぜなら、事実そうなのだから。だが、彼は実に偉大である。な
> ぜなら惨めであることを知っているから。】
私も後10年もしたら、惨めさの中で足掻かなくなれるかもしれません。
> 僕の誤解だろうなぁ。
↑お気遣い、ありがとうございます(笑)。
まだ言葉にできないけれど、五感を通して感じる「何か変」という感覚を、
言葉を使ったもっともらしい理由付や「〜のはず・〜べき」と模倣するよう
に躾られているものを見直すのに使ってもいいんじゃないかなという程度の
思いで書きました。
> 今の自分を信じて一向に構わないし、信じられないのは病的でさえある、
> と僕は思います。
> 飛びかう情報に対して批判的態度を貫く(一歩距離をおく)、という程
> 度で十分なのではないでしょうか?
そうですね。それがなし得る最善なのだと思います。
> 保守的メノムに「翻弄」されても、それには悩まぬ鈍感な後藤@帯畜大
> でした。
上手に表現できないのですが、きっと、後藤さんは言語で表現できる世界と、
感じているけれど言語化できていない世界のズレがない、もしくは少ない
のだと思います。
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。