[BlueSky: 3077] Re:3012 集合生物 


[From] "gengorou" [Date] Thu, 8 Mar 2001 23:43:25 +0900




皆様こんばんは,ゲンゴロウです。
**********************************

後藤さん,須賀さん,お返事をありがとうございます。
遅くなってしまいました。
なかなか考えることができず,暇を見つけては,
このページを読んでいました。
 ↓
http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/LifeRh/01/97Bio01BPsummary.html
前々から,後藤さんのHPは,参考にしたいことが多そうで,
読もう読もうと思って度々開いていたのですが,私の哲学的
な優れた思考(大笑い)をもっても理解がむずかしく,挫折
の連続でした。今回も,まだ読んでいる途中ですがまた座礁
難破しそうです。(トホホ)

今日は,ちょっと長く,ややっこしいことクドクドと書いて
います。暇な時にでもお読み下さい。
−−−−−−−−
【ゲンゴロウ3006】
>> 「集合生物」という考え方は突拍子もない考え方だと,
>> わたし自身,思っています。どんな物事も見方によって
>> 様々な見方が出来るので,人間集団を「集合生物」と見
>> ることは簡単なことです。問題は,それがSFっぽい考
>> えであるか,科学的な事柄であるか,です。

【後藤さん】
>考え方自体に違和感は感じません。問題があるとすれば、「集合生物」
>という造語にあるように思います。

確かに言葉の問題は,印象とか定義とかが問題となります。
私にすると,知ろうとする事柄の全ての言葉が造語に見え,脳を
全く別な仕事に使い,仕事以外に興味のあることを考える時間が
不足している私には,そのような「造られた語」の意味を知る努
力をしている内に寿命が来てしまうので,私は自分の考察?の為
には,もう,勝手に言葉を造ってしまっています。
そのために他者との共通の言葉がなくなってしまい,本もなかな
か読めないし,MLでもコミュニケーションや情報伝達に苦労し
ます。
すなわち,私も苦労しますが,私に話しかけてくださる方にも,
大変な苦労というか違和感がある様に思います。。それを思うと,
私に話しかけて下さるだけでも,本当に有り難いことだと,深い
感謝があります。・・・でも,感謝があっても,,情けないこと
に語れない。。悔しい。。。。

>生物学における「生命」と、文化的伝統の中で伝えられてきた「生命」
>という言葉とは異なります。須賀さんは生物学者の立場から、生物学に
>おける生物概念を固守(?)しようとしているのに対し、ゲンゴロウさ
>んは生物学の非専門家の立場で「自由に」生物という言葉を(文化的伝
>統に沿った形で)用いています。

後藤さんの「動的秩序=生命」は,社会の中での「人が造る組織」でも,
まったく同じ様な気がします(私としては)。
少ししか,しゃぶってない私から言うのもおかしいことですが,構造,
機構,システム・重層構造,複合組織・秩序,持続,維持などなど,
「人の集団」と「生物」との差異は,後藤さんのHPを読めば読むほど,
ないなぁ〜と感じる私です。

ということで,私の「集団生物」という私なりの造語には,後藤さん
が教えているところの「生物」,すなわち動的秩序という意味合
いがあると考えて頂けると有り難いのですが。。。
つまり,
ある程度は,私も,生物学的(科学的)な概念として生物というものを
とらえているつもりでいます。意識ある者とか,存在意義を備えた存在
とか,目的を持ったもの,あるいは,神秘的な存在といった概念では捉
えてはいないつもりです。

しかしながら,一方で,普通の人が理解しやすいように「生き物」
として考えてもいます。その理由は,学問での言葉は専門分野の
方々の間で正確に理解されることがとても大切ですが,その分,
どうしても普通の人には分かりにくくなりますので,あえて擬人化
して「ノソノソ」「ノタリ」という表現を使ってしまいます。

さらに,ある生物の「外界との関係」を考える場合には,一般的な
生命(=生物)観でも,いっこうに差し障りがないような気もしま
す。すなわち,国家間の現象を考える場合に,国家などは,分析的
に国家を見るのは普通の見方なので,別な見方として,あえて一つ
の動的秩序体=生物と考えても良いような気がしています。
この「国家を一つの生物」として捉える見方は,後藤さんもその様
に見ているように思います。その点,今回,驚いています。

ただ,後藤さんは科学者なので,その動的秩序の時間的空間的な
持続の仕組みに着目していますが,私は,その生物を一つの個体と
してその生態を見ようとしているようです。その辺は,見方の方向
性の違いがあり,まったく違った景色が見えるようで,とてもおも
しろなぁ〜と感じました。

昔の経済学ではミクロとマクロなどという言葉がありました。私は
このミクロとマクロは,方向性を表している言葉として理解してい
ます。ミクロとはミクロの方向への考察,マクロとはマクロの方向
への考察。同じ場所を見るにしても,その見る方向が違っていると,
その背景(視ている対象物の背景)が違ってみえるので,とても,
おもしろいと思います。

後藤さんのHPにあり,後藤さんが以前に話題にしていた還元論も,
どうも見方という方向性的な事柄が関係しているような気がしてき
ています。
物事が変化している現象世界では,方向などないので,還元という
概念そのものが,方向を持った見方であり,一種の錯覚のような気
がします。(還元論の反対は,なんでしたっけ。。。)

>集団力学、集団心理学といった学問分野があるかと思いますが、、、おっ
>と確か、ゲンゴロウさんは組織論に強かった(?)、、、そうした分野
>とゲンゴロウさんの狙っていることとは違うのでしょうか?

(後藤さんに私のことを覚えて頂いていると,とてもうれしいです)
組織論も,なんか組織の維持とか,内部構造とかを扱っていて,
今一,私の興味とは別なものがあります。(・・・て,無知な
だけなのですが)

>集合生物と呼ぶ代わりに、人間集団という平凡な言葉では、ゲンゴロウ
>さんの意図は通じないでしょうか?あるいは、むしろ、「超生物」
>superorganism という言葉なら、生物(個体)を構成単位としながらも、
>生物を超えた(生物とは異なる)何かを表現することができるかもしれ
>ません。
>・・・ただし、岩波生物学辞典によると、↓
>   超個体 【同】超個体的個体
>   多くの社会性昆虫では,一つのコロニー全体が他の動物の個体と
>   同位になるとしたもの.今西錦司(1951)の造語.
>   と、あります。
>   また、同辞典によると、超個体は生物群集(異なった種類の生物
>   たちの集まり)を指す場合にも使われるようです。
>   超個体の場合も、英語としては superorganism でしょう。昔は、
>   超有機体とも呼んでいた。
>「集合生物」に変わる名称、何かいいものないでしょうか?

以前,中澤さんに,「超個体」というものを教えていただいたとき,
私,何も知らないので,ビックリして喜んでしまいました。
今回も「超個体的個体」という言葉があることを知り「ふーむ」と
驚いています。私も「集団生物」という言葉に「個体」という印象
を加味したくて,「集団生物的個体」と名を付けた方がいいかも,
と思っていたので。。。

また,須賀さんがおっしゃってくださった。
>社会組織や社会システムというようなことばはどうでしょうか。
>こういうことばの社会科学での定義は知りませんが、すくなくとも
>このことばならアリの巣にも人間の社会にもあてはめることが
>できると思いますし、その動態を観察・比較して特性の異同を
>論じるといったこともできなくはないと思います。複雑系とも
>関係がありそうですね。

その中の「動態を観察・比較して特性の異同を論じるといった
こともできなくはないと思います」は,うれしいお話です。
ただ,複雑系は,これまた私には実にむずかしい事柄です。
(思いっきり,考えてみたーーーーい!!でも能力がない。。)

とにかく,集団を,その内部の構造や仕組みは組織論の方々に
任せて,私は「集団」を一つの生き物(動的秩序体)として,
一匹の有機体として捉え,一個体としての生態を見ることは,
おもしろいのではないかと思っています。そしてその観点から
人間を考えてみたい。人間を考えて集団を考えるのではなく。
いかがなものでしょうか。。。

また,何かありましたら,教えて下さい。
よろしくお願いします。
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ゲンゴロウ。。。。













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