[BlueSky: 3063] Re:3000 パラダイムとして。 


[From] "SUKA, Takeshi" [Date] Mon, 5 Mar 2001 19:23:27 +0900

akiraさん みなさん

   須賀です。

「普遍的原理性」についてのメールへのご返事がおそくなって
ごめんなさい。興味深い論点がたくさんふくまれていて、僕も
すべてに対してお答えすることができませんがおゆるしください。

akiraさん[3000]:
> 例えば、ぼくら日本人が、中国人や韓国人を目の前にして、彼我の服装に
> ほとんど差異がなく、言葉を聞いたわけでもないのに感じる違和感、なんとなく
> 彼らは日本人じゃないな、と感じたまさにその瞬間に脳内で現象している神経
> パルスの興奮と、マイルカがバンドウイルカと遭遇した時に、仲間ではなく他者
> であると認知した時の脳内神経パルスの興奮は、極めて似通っている、と
> 思いますよ。少なくとも同じ哺乳類同士なら、クラスの間の認知において、現象
> それ自体の側に共通の内在的メカニズムがあると言えませんか?

専門じゃないのでわかりませんが、脳のなかでそのときに起こる
プロセスには共通の部分「も」ふくまれるかもしれませんね。

まだ自分でもはっきりしませんが、この場合少なくとも3つの
問題を区別する必要がありそうな気がします。

1)脳内のプロセスのような生理的メカニズムの問題
2)進化的な歴史においてそれをかたちづくった要因
3)人間の社会としてその「意味」をどううけとめるか
  という問題

1)については脳科学の発展にこたえはゆだねられていると考え
ればいいのでしょうか。ただし水中生活に適応したイルカの神経
系と陸上生活に適応したヒトの神経系では、きっとちがうところ
もあるでしょうね。

2)についてはちょっとややこしい問題があります。民族による
服装のちがいは文化的なもので、とりかえられるものですよね。
一方イルカが種のちがいを認知するのは、何らかの遺伝的にきま
った特徴をシグナルとして自他を判別しているのだと思われます。
イルカがもっているこの能力と似た能力を、ヒトもその環境世界に
適したかたちで進化させてきたと思います。たとえばヒトは自分
たちとチンパンジーとを区別することができます。

ただ、遺伝的にきまった特徴をシグナルとして対象を判別すると
いう能力は、自他の区別にだけはたらくわけではありません。
環境世界でみられるほかの生物のあいだのちがいを判別するのに
もつかわれます。たとえばヒトがイルカの種を判別するのもそう
ですし、ヒトがチンパンジーとゴリラを判別するのもそうです。
またミツバチがサクラの花とタンポポの花を区別するのもそうです。

服装のちがいというのは、ヒトがもともともっていたそのような
認知能力にうまくマッチしているので結果的に文化として栄える
ことが可能になったのだと考えられます。つまり、根本にある
認知能力は生きていくのに必要なものとして進化してきたけれど
も、服装のちがいがあること自体はそういうものとはかぎらない。

イルカが種を判別することは、おそらく子孫をのこすのに必要な
能力であるか、またはそれに近い能力でしょう。人間もそういう
能力をもっていますが、服装のちがいはその結果にすぎないかも
しれない、というかそう考えるのが普通です。

3)は上のようなことやさらには社会の倫理といったこともふく
めて、ヒトが自分たち自身やその環境との関係をどのように意味
づけるかという問題です。このこと自体、かなりの部分が文化に
属していて、歴史的に変化してきたしこれからも変化しうるもの
です。そういうことがらがふくまれているので、問題をときほぐ
して「普遍的原理性」というところへもっていけるのかどうか、
微妙なところだという気がします。

akiraさん:
> ある種の粘菌類は、ふだんは単細胞のアメーバ状個体として、単独に生活して
> いますが、環境条件が整うと遺伝的に近しい者(だったかな)同士があつまり、
> 群体を形成します。そして群体内の細胞間で機能の分化が起こり、生殖器官と
> 消化器官、運動器官などをそろえた、あたかも多細胞生物のような存在に
> 変貌します。
> 彼らはどのような方法でコミュニケーションをとっているのでしょうか。

この問題も民族のあいだの服装のちがいと関連づけるには、上の
1)から3)の問題をさらにひろげたかたちで考えなおす必要が
あると思います。

2)に関連して非常に一般的な問題としては、なぜ生物は環境の
なかの要素を(ひろい意味で)察知する能力を進化させるのか、
という問題を立てることができると思います。ここまでいけば
かなり一般原理にちかい問題になりそうですね。でもそこから
派生してくる個別のいろいろな現象、たとえば民族のあいだの
服装のちがいといったことをそこからどれだけ意味づけられる
かは、あいだに入る別の要因がたくさんあるので、むずかしい
かもしれません。

「アメリカ」については、やはり「服装」の問題と似たことが
いえると思います。しかしさらにむずかしい問題として「服装」
のように視覚にダイレクトに入ってくる要素があるだけでなく、
概念や記号といった脳内プロセスでかたちづくられる抽象的な
ものでもあるということがあります。いいかえると、その概念
はどれだけ実体のあるものなのか、ということです。

長くなりましたし、自分でもだんだんわけがわからなくなって
きたのでこのくらいでお許しいただけるでしょうか(笑)。

Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp


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