[BlueSky: 3006] Re:2980 集合生物 


[From] "gengorou" [Date] Wed, 28 Feb 2001 00:10:25 +0900



ゲンゴロウです。

須賀さん,お返事をありがとうございました。
言いたいときに言うのは容易いなのですが,
返事となると,なかなか出来ない。。。
お許し下さい。

−−−−−−
【須賀さん】
>正直言ってあまりにむずかしい話題で何といったらいいのか
>わからないです。

相手をしていただきありがとうございます。
「集合生物」という考え方は突拍子もない考え方だと,
わたし自身,思っています。どんな物事も見方によって
様々な見方が出来るので,人間集団を「集合生物」と見
ることは簡単なことです。問題は,それがSFっぽい考
えであるか,科学的な事柄であるか,です。

私にすると,人間集団をその集団を作っている人間の意
識にスポットライトを当てて考えるほうが,SFだった
のではないかと思えています。

たとえば,動物生態学(よく知りませんが)では,ある
生物,たとえばムカデだったらムカデが「どういう行動」
をする生物であるかは,その生物の組成を顕微鏡で覗く
以前に,その行動を観察し,その行動から生態を捉えて,
その組成体(ムカデ)を知るのではないでしょうか。

もちろんムカデは,組織から出来ていますが,ある意味,
ムカデの行動は,ムカデ以外から影響を受けて,ムカデなりの
生態が出来上がっているのではないでしょうか。
それが科学的な観察なのではないかと。。。

ところが人間集団を考える場合には,どうもその組成(人)
の生態が優先されていて,集団という独特の存在の観察が,
なされていないように思います。

部分が全体に影響を与え,その全体から部分が,もっと
大きな影響を受けている現象の中で,一方の部分だけに着眼
して考えるのは,ちょっと片手落ちのような気がします。
(あやふやな段階なので,これ以上にうまく説明できないので,
 理解不明になると思います。申し訳ないです。)

>人間の集団を生物個体のようなものとして
>考えるには、その集団が繁殖の単位になっていて、たとえば
>アメリカ国民という集団から別の国民の卵がうみつけられて
>それが成長しまた繁殖をくりかえす、といったプロセスを想定
>しないと考えにくいなあというのが正直な感想です。あたまが
>かたいのだと思いますが。

この部分を読んで,「そうか,,生物というと,普通はそういう
生物観を持つよなぁ〜」と,気が付きました。ありがとうござい
ます。言われて気が付いたのですが,私のいう集合生物は,どう
も原生動物(?),つまりアメーバー(?)のような,まだ分裂
も出来ないで,ただ大きくなるだけの生物のような気がします。

>凡庸な考え方ですが、やはり人間の社会も群れ社会の発展した
>ものと考えるほうが楽です。でも群れ社会というものも、おふたり
>のおっしゃるようにあなどれません。人間個人の意識はとても
>複雑で敏感で繊細なものだと思います。でもそれはある意味で
>おそらく生きていく自然環境の複雑さと群れ社会のむずかしさ
>に適応進化していく長い年月のなかでかたちづくられたものでは
>ないかと思います。それが現在の社会の状況にもぴったりフィット
>しているかどうかは別問題ですが(わたしは人類進化論の専門家
>じゃありませんのでしろうと談義だと割り引いてきいてください)。
>さてそのようななかで生きていくにはやはりつねに群れ社会の
>ほかのメンバーの様子をうかがい、そのときそのときの状況に
>あわせて自分の行動を調節しなければなりません。集団が
>互いに孤立した状態にあれば、それらの集団はその内部の
>メンバーの意識しあう関係のなかからそれぞれ独自の「自我
>意識」を発達させるかもしれません。akiraさんやゲンゴロウ
>さんのお話しはこのことと関係があるのではないでしょうか。

私の場合は,ご明察通りです。
集団の中で,人はその個人の持っている性格とは違った動きを
する場合があります。ただ,人が集団化することで人が集団的
な行動をとること,それが集団の行動に影響を与え,その集団
がまた個人に,そしてその個人が集団にというように,連鎖的
な現象が起きているならば,もはや,集団は,独自の存在とし
てノタノタと動いていると考えて,いえ,考えなければならな
いのでは,ないかと思ってます。
集団の中での人間にスポットをあてるのではなく,もっと集団
の恐ろしさにスポットを当てた方が,よいのではないかと思っ
てしまいます。

>とはいえ脳や意識は個体のなかにあるものですから、個体と
>しての自律性はまだ失われていないと思います。

確かに,失われていないと思います。しかし失われていない
人間は,苦しむかもしれません。そして集団に取り巻かれ,
自律性が失われたときに,戦争だとか,オウムだとか,暴走族
の行為などが起きているのではないかと。。

>そういう意味
>での脳にあたるものは米国とか日本とか中国といった国家の
>どこにあるでしょうか。政府でしょうか? 科学者や知識人や
>党やマスメディアでしょうか? 確かに、それらの影響力は
>大きいですし、それらの意思を無視して社会を動かす(って
>だれが?)ことはできないかもしれません。けれどもそれらは
>脳が手足を動かすように国民を動かしているわけじゃない
>ですよね。脳から脳へと情報がつたえられて、それをうけた
>個体の脳が自分の意思で自分の身心を動かすわけです。

須賀さんの上記の問いは,人間の脳の中の何処に脳があるか?
という問いと同じ問いのように思います。人間の脳の様に,
他の脳と連携を持つ脳を持った脳は,その脳全体で一つの単純
な方向性を決めることができる原生動物的な機能を持っていて
も,けっしておかしくないのではないかと,思ってしまします。

>あとはこのことをどれだけ自覚し相対化して幅広いひとびと
>とつながりながら自分の居場所というものを日々あたらしく
>していけるか、ということではないかと思うのですが、これは
>僕の個人的な好みを語っていることになるのかもしれません。


> あとはこのことをどれだけ自覚し相対化して幅広いひとびと
> とつながりながら自分の居場所というものを日々あたらしく
> していけるか、ということではないかと思うのですが、

これ,ほんとうに出来たなら,私としては「人類は大丈夫!」と,
思えます。しかし,効率主義の集団に属すと,とても,ほんとに,
人間の存在は危うくなるような気がします。
葛貫さんが「相対化しつつ、主体を失わない、すごく高度な技
かも。」と,おっしゃっていますが,集団を構成する中の脳は,
高度な脳ばかりではなく,私の様に人の目があると性格が変わり
がちの人間の脳もあるので,集団というものは,とてもむずかし
いものではないかと,思ってしまいます。

−−−−−−
と,いろいろ書きましたが,
自分の考えを固持するものではないです。
私,複雑なこの世の中の出来事が頭に入りきらないので,
集団を「生物化」して簡単に理解しようとしているのかも
しれません。(自分の思考に警戒をしなければ。。。)

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genngorou

(勇気だして,送ろっと。。。)




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