[BlueSky: 2980] Re:2963 集合生物 


[From] "suka" [Date] Sun, 25 Feb 2001 02:43:46 +0900

ゲンゴロウさん、akiraさん みなさん

   須賀です。

akiraさん:
> >例えば、我々ひとりひとりの人間が、おぎゃーと生まれて
> >環境世界に投げ出され、固有の遺伝的資質を前提に
> >固有の経験を内面化し、固有の人格・パーソナリティ・
> >自我意識・を形成していくように、様々な集団もその誕生
> >から固有の背景を前提に固有の経験を積んで、固有の
> >自我意識を形成していくと思うのです。
> >そして、例えは悪いけれど犯罪者が犯罪を犯すにいたる
> >筋道を、心理分析官が解きほぐしていくように、国家の
> >行動についても、心理分析が必要ではないかと思います。

ゲンゴロウさん:
> まだ,「心」は持っていないと思います。
> が,この「心理分析」はおもしろいです。
> 昆虫の行動を観察するように「生態観察」すると,
> 明らかに,下等な行動をする生物だと思えますが,
> 動物の生態観察に優れていらっしゃる方のご意見を聞きたいものです。

わたしは、自分が動物の生態観察にそれほどすぐれていると
思っていませんが(ずっとすぐれた方々を知っているので)、
(ほかの何人かの参加者のみなさん同様)わたしも虫の研究者
ということになっているので、何もいわないのも変かなと思って
おどおどしながら出てきました。

正直言ってあまりにむずかしい話題で何といったらいいのか
わからないです。人間の集団を生物個体のようなものとして
考えるには、その集団が繁殖の単位になっていて、たとえば
アメリカ国民という集団から別の国民の卵がうみつけられて
それが成長しまた繁殖をくりかえす、といったプロセスを想定
しないと考えにくいなあというのが正直な感想です。あたまが
かたいのだと思いますが。

凡庸な考え方ですが、やはり人間の社会も群れ社会の発展した
ものと考えるほうが楽です。でも群れ社会というものも、おふたり
のおっしゃるようにあなどれません。人間個人の意識はとても
複雑で敏感で繊細なものだと思います。でもそれはある意味で
おそらく生きていく自然環境の複雑さと群れ社会のむずかしさ
に適応進化していく長い年月のなかでかたちづくられたものでは
ないかと思います。それが現在の社会の状況にもぴったりフィット
しているかどうかは別問題ですが(わたしは人類進化論の専門家
じゃありませんのでしろうと談義だと割り引いてきいてください)。

さてそのようななかで生きていくにはやはりつねに群れ社会の
ほかのメンバーの様子をうかがい、そのときそのときの状況に
あわせて自分の行動を調節しなければなりません。集団が
互いに孤立した状態にあれば、それらの集団はその内部の
メンバーの意識しあう関係のなかからそれぞれ独自の「自我
意識」を発達させるかもしれません。akiraさんやゲンゴロウ
さんのお話しはこのことと関係があるのではないでしょうか。

とはいえ脳や意識は個体のなかにあるものですから、個体と
しての自律性はまだ失われていないと思います。そういう意味
での脳にあたるものは米国とか日本とか中国といった国家の
どこにあるでしょうか。政府でしょうか? 科学者や知識人や
党やマスメディアでしょうか? 確かに、それらの影響力は
大きいですし、それらの意思を無視して社会を動かす(って
だれが?)ことはできないかもしれません。けれどもそれらは
脳が手足を動かすように国民を動かしているわけじゃない
ですよね。脳から脳へと情報がつたえられて、それをうけた
個体の脳が自分の意思で自分の身心を動かすわけです。
あとはこのことをどれだけ自覚し相対化して幅広いひとびと
とつながりながら自分の居場所というものを日々あたらしく
していけるか、ということではないかと思うのですが、これは
僕の個人的な好みを語っていることになるのかもしれません。

みなさんはどう思われるでしょうか?


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