[BlueSky: 2843] Re:2840 凶悪犯カウンセラー+インターネットゲーム殺人事件


[From] "akira   " [Date] Tue, 6 Feb 2001 00:30:04 +0900

akiraです。横レスします。

Takataさん:
> > 実体験というのは何ものにも換えがたい大切なものだと私は確信しています。
> > 全ての実体験は命を落とす危険があると思います。この様な実体験をするこ
> > とは、人間、特に若い人に必須のものではないかと思います。

佐川さん:
> 実体験とそうではない体験とは、どの様に区別するのですか?
> 若い人は実体験をしていないのですか?
> まさか、家に籠もってTVゲームばかりしているとでも?

Takataさん:
> > 基本的に人間は現実の世界だけで生きるべきだと私は信じています。

佐川さん:
> 現実の世界とはどの様な世界でしょうか?
> akiraさんがすでに指摘しているように、いまの日本自体が虚構
> の世界そのものではないですか?

以前の発言で、現代社会をフィクション、と言ったのは、もちろんひとつの比喩に
過ぎません。例えそれが砂上の楼閣のようにあやふやな根拠の定かでない代物
だとしても、そこに楼閣が存在し、その中で生活する人が存在するというのは
現実であり、その中で成長していかなければならない子供たちがいるというのも
現実です。それは決して、テレビゲームの中の世界のような、全くのフィクション
ではあり得ません。

ここで問題にしているのは、恐らく『現実』の質、ではないかと思います。
例えば、何十人も小さな教室に押し込められて、機械的な教師から
機械的に知識を詰め込められて、機械的にポイントをクリヤしていく・・・
子供たちが日々直面している学校教育も、ひとつの経験として、『現実』です。

一方、丁稚奉公や内弟子制度に代表されるように、極めて小さなお互いの顔を
見つめ合う濃密な関係性の中で、具体的な技術や知識が、一つの『生きざま』
として、それを体現している先輩から、子供たちへと、ダイレクトに、マン・ツー・
マンで伝えられた、そんな教育もひとつの『現実』としてありました。

お互いの個性がぶつかり合いながら、涙や汗や血?や、痛みや悲しみや
怒りや嫉妬や、対抗心や、そんな生々しいむき出しの『人間』を感じ、応じ
ながら、世代を超えた子供のコミュニティの中で、営まれた『遊び』も存在
していました。

一方で、それら生々しい実存?(と言えばいいのかな?)を極力排した
バーチャル世界の中で、他者を省みることなくとことん自己中な衝動に
まかせてスティックを操り続ける。そんなテレビゲームに埋没している
時の経験も、子供にとってはひとつの『現実』です。

ぼくが現代社会の仮想性を指摘する時、それはあくまでも比喩としての批判
であって、それをそのままフィクションであると肯定しているのではないですよ。

ぼくの思考法は、現実をありのままに認識して、そこに問題があればそれを
『問題』として認識し、その問題を少しでも解決していく方向を模索していく、
というものであって、退嬰的にひたすら現状を『追認』していくものではあり
ません。

虚構のような現代社会が抱える、その虚構性故に生まれる様々な問題を
どうやって解決していけばいいのか? それがTakataさんの視点では
ないでしょうか?

それでは。  akira





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