[BlueSky: 273] Re:265,254 科学研究と個人責任


[From] "Kaz. Yokoyama" [Date] Tue, 03 Aug 1999 14:27:04 +0900

玉奥さん,MLの皆さん

コメント有り難うございます。横山@農環研です。

Katsumi Tamaoku さんは書きました:
>横山さんは科学と技術を一緒に論じておられるように感じます。

その通りです。科学と技術を違うものだというのは業界内でのみ通じる幻想です。
どんな純朴な科学も技術を構成し,どんな技術も科学を構成し得る。
よって殊更両者を区別してみても現実に得るものは何もないと言う意味です。
ですから,玉奥さんが科学者ではないとすれば,科学者である私としては誠に
温かいご意見だと感謝しますが,ご自身が科学者であるとすれば,それは純朴
すぎますよと言わねばなりません。

繰り返しますが,
科学と技術はもはや別々には存在し得ません。存在しているとすれば,純朴な
科学者(別に悪い意味ではありません)の希望的錯覚です。

もちろん,両者の違いをリストアップすることは業界人としては容易いことですが,
そんなことをしても何の意味も有りませんね。

私が申し上げたかったのは,後藤さんの言葉を借りれば「知の発見自体が重い」仕事で
あり,それを仕事している人間くらいは最低限その責任の重大さを自覚する必要がある
ということです。

ですから,核兵器を生み出すに至った全ての行為に携わった全ての人間は責任を
(法律論ではなく)痛感する必要があります。愉快な話ではありませんから,出来れば
科学と技術は別物と言いたいところですが,これが私の科学技術に携わるものとして
の倫理観です。

この様な,(過去の人間活動全てに対しての)真摯な態度抜きには,環境問題を含めて
人類の未来を真の意味で前向きに語ることは難しいと確信しています。

人間は弱く,しかも狡猾です。
きっと,私は悪くない,私の行為と○○とは別であると自他に言い訳しつつもっと深みに
はまって行くのです。

拡大解釈しても「責任は我にあり」と先ず考える習慣を少しでも付けた方が良いの
では有りませんか?

(多分に自虐的だとは自認してますが・・・・・^o^)

>大昔の、私の初めての学会発表の際、某旧帝大工学部助教授から、「その研究は
>何の役に立つのですか」と聞かれて、一瞬わが耳を疑ったことを今でも忘れません。

これは上とは次元の違う問題ですね。
仮に私が指導教官であれば,学位の候補者に対して同じ質問をするかも知れません。
それは,たとえ理学部の学生であっても,同様のことを聞かれて毅然として応える
説明責任(accountability)があると考えるからです。その為の訓練です。

しかし,そうではないのであれば,私はその様な質問を決していたしません。
なぜなら,それは自分の無能をさらけ出すことを意味するからです。
ましてや工学部の助教授であれば,本来どんなつまらない知見からでも役立つ情報
を見いだす訓練を積んでいて欲しいものです。

Kazunari Yokoyama, Ph.D.
Soil Microbial Ecology Lab.
National Institute of Agro-Environmental Sciences, Japan
Phone:+81-298-38-8300
Fax:+81-298-38-8199


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