こんにちは、葛貫です。
新年早々、「ああ、そうなのか!」という言葉に出逢いました。
ほぼ日刊糸井新聞http://www.1101.com/ の
<21世紀の前から考えてた21世紀>
http://www.1101.com/saisin/index.html から
********
・すべては人間に。
中小企業が、最新鋭の機械を導入したら、
うれしくてしかたないだろうなと思う。
そういう映画のシーンを見たような気がする。
賭けに近いような投資をしたってことだ。
いまは、最新鋭の機械よりも必要なのは、
人間だ。
「最新鋭の人間」が頼りになるわけじゃない。
免許も格も学歴も、ほんとうはいらない。
「旧くならない人間」が次の時代の資本である。
「旧くならない人間」が、数人いたら、
なんでもできるような気がする。
どんなに図体のでかい機械でも,旧くなる。
人間は旧くならないことが、ありうる。
********
葛貫【2693】:
>市場の論理では、この場を埋めるのは君である必然性、
> 否、ヒトである必然性は全くないのだ。働き手が足りなかったり、
> ブーブー文句ばかりで、時給に相当する働きをしないなら、ロボッ
> トを開発しちゃうよ。君たちは、消費してくれさえすればいいんだ。
> というものなのかもしれません。そして、市場を繰っているつもり
> だったヒトも消費されて行く。
日々、自分自身を更新して、旧くならないでいられれば、自分の生の
イニシアティブを取り続けることができるのかもしれないと思いました。
「旧くならないでいる」というと、「後ろのものを忘れ、前のものに向か
ってからだを伸ばしつつ・・・・」というパウロの言葉を思い出します。
いつも身につけていて、自分自身と区別がつかなくなってしまってい
るものを、どの程度手放すことができるか、如何に体と頭と心の新陳
代謝を滞りなく行うかという問題なのかな、とも思いました。
今年も、よろしくお願い致します m(._.)m
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。