[BlueSky: 2705] 状況判断と危機感


[From] Sawaguchi Yuji [Date] Fri, 05 Jan 2001 02:30:04 +0900

澤口@一升金です。

akira さんの<001601c07474$d46cc3a0$351e83d3@compaq>から
>みなさん、あけましておめでとうございます。akiraです。
ちょっと遅れましたけど、あけましておめでようございます。>ALL

>歴史から学ぶ、と言う事があるからこそ、極めて人間的な進歩がある
>のではないですか? それを趣味と言われては・・すべての歴史学は
>ホビーになってしまいますね(笑)
歴史から学ぶ、というのは社会の変革と個人意識の連関の有機的な構造
を学ぶことですから、トピックだけ取り出して何かの論拠にするのはホ
ビーでしょうね。
その論法では大東亜共栄圏構想にもナチズムにも評価すべき点がある
と言ってかまわないわけですし。

>これは文明世界に限って言えば、ほぼ正しいでしょう。けれども、澤口さんは
>いわゆる先住民の自然に随順した生活の中に、芸術や文化や思想がない、
>と考えるのですか。それこそ、文明的な傲慢では?
ない、というより現代人の観念で先住民の営為を勝手に芸術とか文化とか
思想と名付けるのはまずいのではないかと思います。
もし、彼らが自分たちのそれを芸術とか文化とか思想と言っているのな
ら、それは「文明人」に対する媚びでしょう。

>また、棚田などを中心とした田園生態系、薪炭林を中心とした里山生態系など、
>人間が資源をを得るために自然に働きかけた結果、逆に生態系が多様化し、
>安定し、豊かになった例はたくさんあると思います。その成り立ちが
>きわめて見やすいのが江戸時代だと言われています。
わたしは akira さんが環境原理主義かと思っていたのですが、資源を
得るために自然に働きかけることには肯定的だったのですね。

>その恣意というのは、どのような成り立ちで形成され、どのような内容で、
>誰によって、どのような形で問題にからんでいるのでしょう。その結果、現在
>起こっている事は? 恣意というのは、まさに恣意で有るがゆえに、変更
>可能なのではないですか? つまり、環境問題で問われているのは恣意の
>存在ではなく恣意の内容だということです。
それは、おっしゃるとおりなのですが、恣意の内容についてのジャッジは
誰がするのが妥当なのでしょう。
人間社会の代弁者には事欠きませんが、環境の代弁者はいかにして選ばれ
るのでしょうか。

>現在の資本主義経済システムは、まさにその国家権力によって先導・扇動
>され、国民の未来への選択権を極端に制限しているのではないですか?
先住民社会では個人が自由に未来を選択できていたのでしょうか。江戸時
代にはどうだったでしょう。

>環境保護はグローバルな支持を受けていないのでしょうか?
全ての生き物のを守るために資本主義経済を否定し、憲法を改正すべき、
と言う主張がグローバルな支持を受けていないのです。

>環境を守らなければならない、というのは普遍的な意志と事実ではないのかな?
「環境を守る」、ではありません。「生物の主体的な生存権」を守るとい
う akiraさんの主張に対してのレスです。

>どうも、澤口さんの発言からは、ご本人の価値観や方向性というものが見えません。
わたしは自分にとっての環境リアリズムの観点で意見を述べているので、
まとまった価値観や方向性というものは取り立ててありません。
わたしはあんまり自分と環境を峻別しないんですよ。


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