[BlueSky: 2702] 状況判断と危機感


[From] Sawaguchi Yuji [Date] Sun, 31 Dec 2000 18:28:37 +0900

澤口@一升金です。

akira さんの<005401c06f9a$5ccf2560$0d0083d3@compaq>から
>分かりやすく言うと、ぼくや石川さんが再評価すべきと言っているのは、江戸時代に
>おけるローカリズムの知恵であり、澤口さんが反証として提示したのは、江戸時代
>にもすでに進行していたグローバリズムのうねりである。ということでしょう。
ローカリズムな話でよければ、現代を含む全ての時代にいくらでも
再評価できてしまうものがあると思います。
大戦中を懐かしむ人もいれば、ナチズムを現代に持ち込む人もいる
ものです。
歴史から部分を切り出して再評価するのは趣味の範疇であって、正当
化の規範とはならないでしょう。
いつの時代でも芸術、文化、思想はパトロンと改革者、すなわち不労
所得階層の存在なしには成立しえません。不労所得はそのまま自然か
らの余分な収奪に直結しています。

>我々の中に存在する、「贅沢は素敵だ」という指向性は、極めて盲目的なものです。
これは、おっしゃる通りでしょうね。
かといって、その逆の指向に盲目的であれ、というわけにもいきませ
ん。
環境を保護するという運動が結局人間の思考の産物として出てきてい
る以上、環境がどのようなものであって欲しいかという我々の恣意が
からむことは否定できないのです。

>憲法改正論が、それに対するぼくなりの一つの提案だったのですが。
憲法というのは基本的に国家権力による無制約な国民生活への介入を
阻止するためのものですから、国民生活の上位に環境保護を位置づけ
ることはできないでしょう。
国家の定義というものは極めて人間的な概念ですから、環境そのもの
は基本要素とはみなされません。
手続き的にも、基本的人権などもそうなのですが、憲法があって基本
的人権が与えられるのではなく、憲法に優先して基本的人権というも
のがグローバルな支持を受けている、という事実があって、しかるの
ち憲法に記載される、という順序になります。
憲法は努力目標ではなく普遍的な意志と事実の提示です。
したがって、最初に改正ありきという論は少し無理があります。


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