[BlueSky: 2693] 市場


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Thu, 28 Dec 2000 10:01:37 +0900

葛貫です。

小宮さん:
> 道徳教育は国が規制して行うものではなく、
> 個人の家庭で自発的に行われなくてはいけないということで
> しょうか?ゲームの場合も、政府が法律で規制するのは
> ちょっとおおげさで反発を招くかもしれません。なにかメーカー
> が自発的に自粛できるような方法があればいいんですが…。

TVゲームの規制とは離れてしまいますが、先日NHKで「世紀を
越えて・最終章 3 欲望社会・市場はどこまで拡大するのか」と
いう番組が放送されていました。

買い手がいる限り、市場でとりあげられ、それを推進する技術が
開発され、購買意欲を掻き立てるような目新しさを付け加えた
関連商品が開発され続ける。自由主義経済のもとではメーカー
が自粛するとは考えにくいです。

社会は、ニッチを埋める者を再生産するために対策を立てるかも
しれませんが、特定の個人を守ろうと考えているわけじゃない。
嫌な言い方ですが、今一番過剰にある資源はヒトなのではないで
しょうか。市場の論理では、この場を埋めるのは君である必然性、
否、ヒトである必然性は全くないのだ。働き手が足りなかったり、
ブーブー文句ばかりで、時給に相当する働きをしないなら、ロボッ
トを開発しちゃうよ。君たちは、消費してくれさえすればいいんだ。
というものなのかもしれません。そして、市場を繰っているつもり
だったヒトも消費されて行く。

このような「市場」が個々人の幸せにつながるとは思えませんが、
現に存在し、先進国では、そのシステムに組み込まれて、今日の
ご飯を得ている者がほとんど。有限の資源の中で、右肩上がりの
経済成長を求め続けるということは、富の偏在化を増す以外、
どのように成し遂げられるのか?それで、使い切れないほどの
富をゲームの点数を稼ぐように集めた人は果たして幸せなのか。
また、市場というゲームに巻き込まれ、「贅沢」という目眩しにあい、
ローカルな文化を守る方を選択する人がどれだけいるのか。
贅沢と豊かさは同じものではないと身にしみて知る前に、そのよう
な選択をヒトはできるのだろうか。
この場合、現地の人にとって「贅沢」の追求と、外部から「ローカル
な文化を守ることは大事なんだよ。取り返しがつかないから。」と課
されるのでは、どちらが「基本的人権」が守られたことになるのか。
私には、よくわかりません。

啓蒙はしても、布教はしないというスタンスだと、市場へのフィード
バックの方法としては、製造過程、背景等を知り、自分の望むquality
に背くものは買わない、関らないようにしよう、ということになるのかな。

今日は、仕事納めですね。 良い年をお迎え下さい。

では。






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