[BlueSky: 2678] 状況判断と危機感


[From] Sawaguchi Yuji [Date] Mon, 25 Dec 2000 12:40:35 +0900

澤口@一升金です。

akira さんの<006b01c06cf2$1e75dca0$a70783d3@compaq>から
>こんにちは、akiraです。
あいさつがおくれてすみません。こんにちは。

>世界のすべてを細分化し分析する事によって理解するという近代科学の
>限界が、象徴的に表れているのが環境問題である、とも言えます。
制御工学などですと、可観測性と可制御性などということを
うるさく言うのですが、環境問題ですとここらをあいまいに
したままでも、とにかく何か実行・実現して先に進めなけれ
ばならないということはありますね。
議論して方向付ける、というシステム自体に生態学的アプロ
ーチが必要なのかも知れません。

>結局、生命の奇跡的なまでの調和と美しさを、人工世界以上に惜しむか、
>という事だと思います。ぼくは、惜しみます。その、36億年の奇跡を、
>たかだか一万年くらいの文明人が、百年単位の短い時間で破壊してしまっては
>いけないという、内的な倫理観ですね。
個人の倫理観はグローバルな規範となりうるか、というのも
わたしは結論を出せないでいます。
例えば、よく重疾患の子どものために何千万円も寄付を募ら
なければならないケースがありますが、その何千万円という
お金を医療後進国に送れば数百人とか数千人という単位でい
のちが救えるかもしれないですよね。
目の前の一人を助けるか、将来の蓋然性において数十万人を
助けるかの岐路はいつでも倫理感の前にあらわれます。

>どうもぼくの中には、深い所にあるぬぐい難い無力感、があるようです。
>それに駆り立てられて、発言が過激になっているのかも・・・・
思考に溺れないためには自己防衛反応として時に過激さがあら
われることも必要といえば必要です。
たとえば akira さんは江戸時代の生活様式を持ち上げていま
したが、アイヌ民族や琉球民族への差別感を確立、施行したの
も同時代の人間の営為です。
もしかすると差別様式の確立と環境保護は表裏一体のものかも
知れないのです。


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