澤口@一升金です。
akira さんの<001401c06c6a$f4fe17c0$980983d3@compaq>から
>広木さんにとっては、この「贅沢は素敵だ」というデパートのキャッチ・
>コピーのような言葉が、UNIVERSAL REALITYなんでしょうか。
人間社会の現象としては事実ということでいいのでは。
>そしてこの、普遍的な事実、を前提に、科学的に環境問題について
>考察しているというわけですか?
資源を集積したり浪費したりするのは事実ではない、という前提では
考察できんでしょう。
>誰かが浪費できるほど資源をかき集めれば、当然、その資源を奪われた
>者が困窮にあえいでいる。これは「無から有は産み出せない」という
>普遍的な事実です。
これは環境問題ではなく、資源分配の経済問題ですね。
浪費できるほどの資源蓄積は貨幣による価値交換経済の発達によるところ
が大きいわけですが、現代においては「社会」の存立は価値の流通体系と
して機能するところにあるわけです。
で、個人が社会参加するのは社会に対して何らかの価値を差し出すのが本
質的な部分で、これは、資本主義がどうこういうより、人間が自己の存在
を意識するための本質的なものであると想像されます。
だからこそどんな貧しい国でも宗教に資源を寄付する行為はあるのです。
ポトラッチなどという習慣のある地域もありますしね。
>このような普遍的な事実を前提にして初めて、環境問題を科学的に考える
>事が可能になると思うのですが・・・
>「贅沢は素敵だ」という思想や価値観、生活様式は、生命の歴史に照らせば、
>限られた時代の限られた集団においてだけ通用する、極めて特殊なものです。
どうも話がかみあっていないように思うのですが。
akira さんは「前提」を「検討不可。変えられない命題」と定義しているの
ではないですか。
環境問題というのは人間社会・集団ができるだけ体制の急激な変化を伴わず
に持続的に存立しよう、という問題ですから、その「極めて特殊な」状況下
の範囲でコントローラブルな部分をどうつついていくかではないでしょうか。
生命の歴史云々を持ち出すのであれば、今なにしようとしなかろうと10億
年後くらいにはあまり関係なくなっているでしょうし、宇宙全体の歴史では
それこそ生命などは一時的な現象なのですからそれこそどうでも良くはない
ですか。
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