こんにちは、佐川です。
> 佐川さん:
> > そういうことじゃないと思いますけど・・・・・(^^:)
>
> 引用の仕方が下手でした。ごめんなさい。
私の書き方が悪かったですね。すみませんです。
「生が結局は、各種の時間潰しの堆積であるならば・・・・・」
に対するレスとして『有閑マダム』という言葉は、相応しいと
は思えない。という意味です。
ですので、葛貫さんの発言に対するものではありません。
> 「されどわれらが日々」という本は、1960年安保前後の学生の生き様
> が書かれている小説です。
ブントの中心的人物の一人であった、島成郎氏が先日亡くなりました。
『安保闘争』『ブント』は、神話になりつつあるのですね。
> > 石器時代であっても「生が結局は、各種の時間潰しの堆積である」
> > ことには、かわりがありません。
>
> それを意識してしまったかどうか、言葉として認識してしまったかどう
> か、で大きな違いがあるような気がします。
TVなどで、アマゾンやイリアンジャヤの原住民の生活が紹介され
ます。それらの放送を見れば解るのですが、彼らの生活に占める
「生産」の時間は我々が思うほど多くはなく、以外と暇にしてい
るんですよね。。
それよりも、電気がない時代の人たちは、夜、何をしていたんで
しょうね。
特に「夜の長い冬」が長い雪国の人は、何をして退屈をしのいで
いたのでしょうね。
それでは。
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