[BlueSky: 2435] 奉仕よりも生活教育を


[From] "gengorou" [Date] Fri, 6 Oct 2000 21:56:09 +0900


こんばんは、横浜在住@ゲンゴロウです。

このMLは私、大好きです。勉強になるし触発されるしで。。
論争もなく、皆が大人で素敵です。

−−−−−−−−−−
葛貫さんが、「大人とは?」ということを提起されていましたが、
私が思うところ、大人とは社会性を身につけることではないかと
思います。

社会とは人間には一つの環境ですので、それとスクラムを組める
ようになることが大人に成るということではないのかと思います。

だけど、もしも、その社会環境自体が子どものような(未熟とい
う意味で使用)の社会であった場合には、大人に成ることは実は
未熟な人間になることになってしまい、困ったことになるようで
す。
現実の子どもが成熟していて進むべき道に「大人へ」という意味
があるにもかかわらず、その大人社会が「子ども的」であったら、
子どもはそのような大人に成ってよいのか迷うような気がします。
(私には、今の日本の社会が子ども(ガキ)社会に見えて
 しかたがありません。日本の大人はシワが多いだけの様
 な気がします。)

−−−−−−−−−−
話を変えて・・・・

「窮鳥(きゅうちょう)、懐に入れば漁師もこれを射らず」のよ
うなことわざがあります。が、、
私としても釣った魚がさばけず、食べることができません。釣っ
てから動かなくなると死んだと考えて、死体と認識して食べられ
ません。そのことにたいして、いつも不可解に感じていました。。
最近は、刺身でも出来るだけスーパーで一匹を買ってきて、自分
でさばくようにしてますが、魚の頭を切り落とすのが苦手です。
しかし、食べるとおいしい。。。

最近のMLメールを読んでいて思ったのですが、人(私)には、
どうも二面性(多面性)があるようです。
そして、人(私)は、この多面性の現実に頭をひねっているようです。

先日、使用してから一年半の家電製品が故障したので、新品に交換して
もらったのですが、私が話をした相手を企業人と考え訴えると新品交換
は受け入れてもらえれず、同じ消費者として考えてもらうと、新品交換
を受け入れて頂けたような気がしました。(有り難いことでした)

つまり、私たち人間は、立場というか、価値観によって幾通りの人間に
もなれる生き物のような気がします。
人を敵と考えると殺すことが出来、同じ人を仲間と考えると殺すことが
出来ない矛盾のような事柄は、価値観に転換が起きるからだと思います。
私たちの価値観の転換が、物や生物の存在の転換を起こす気がします。

猫をペットとして飼ったら食肉としては考えられなくなり、釣った魚も
食べられなくなる。物自体に変化がなくても私たちの多面性が物を変化
させてしまっているのではないでしょうか。
多面的ということは素晴らしいことなのに、それがあることで、私たち
には世界がいくとおりにも見えてしまって、そのことを不可解に感じ理
解に苦しんでいるのが私たち人間の苦しみのような気がします。
で、その苦しみを逃れるごとく、食肉産業でも分業が行われているので
はないでしょうか。。たとえば「豚を育てる人」と「殺して解体する人」
の仕事が分かれ、「食べる人」は食べるだけ。
人間の多面性の数だけ分業が起こり、それらに明確に隔たりが出来た商
品(刺身のお造りなど)が生まれているように思います。

ある時は殺せてある時は可愛がるは、人間の優れた多面性の現れと理解
できれば、生き物を殺しながら自分たちが生きることの矛盾に悩む心も
納得処理がゆくように思います。

−−−

私が考える根底には「平和(みんな仲良く楽しく)」があるので、
さらに脱線します。

異民族、異宗教、異空間の人々が仲良く出来るための一つとしてこの
人間の多面性の理解が必要ではないかと、、、、。
多面的な物事を理解する必要はなく、多面があるということだけを
理解すれば、かなり状況は良くなるのではと思います。。
そして、異である部分に目を向けるのではなく、同である部分を探せ
たらよいな〜と思います。
人は行きたくなくても目を向けるとそちらに進んでしまう性質がある
ようなので、同を見るようにあえて努力すると、争いもなくなる感じ
がします。
心とは、おそらく複雑な社会のなかで生きるために時間的に俊敏に処理
する過程で周囲の現象との相互影響で誕生してきたものだと思うのです
が、その心が生み出す憎しみとか恨みに動かされることなく、心が生み
出すことを理想的な方向に向けるには、「窮鳥懐に入れば漁師もこれを
射らず」という人間の多面性から生まれているこの性質を上手に利用す
ることかもしれません。

猫や犬や鳥を飼うと心が通じ合ってしまって、、殺せなくなるなら、、
人と心を通じ合わせる経験を人が出来たら、人は人を殺せなくなります。
ということを逆に考えると、人を殺せる人というのは、そういった心を
通じ合わせた経験がないことになります。。
あるいは、
多面的な価値観の転換に苦しむなら、生物を殺したことのない経験も、
大切なのかもしれません。。また多面的である人間(自分自身)を責め
ることもやめなければとも思います(混乱)。

とにかく、、
諺の「懐」は、、たぶん人の奥にある心を指しているのでしょう。。


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  いっつも、あわてて書いているので
支離滅裂、乱文、お許しください。ゲンゴロウ。。。。.。
gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
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