[BlueSky: 2432] Re:2429 奉仕よりも生活教育を


[From] Minato Nakazawa [Date] Thu, 05 Oct 2000 19:19:28 +0900

中澤@東京大学人類生態です。

# パプアニューギニアのとある社会では,獲ったワニを解体するの
# は既婚男性のみに許された秘儀とされていて,写真すら許しても
# らえませんでしたが,シカとか豚は子どもでも平気で解体に参加
# します。温血かどうかというのも文化によるフィルターなのだと
# 思います。>葛貫さん

(件名:[BlueSky: 2429] 奉仕よりも生活教育をに於て)
Tue, 3 Oct 2000 23:03:52 -0400頃,Sato, Kenjiさん:
> 中澤さんのいう”責任”と言う言葉を「肉食は動物を殺すことによって可能になると
> いう当たり前のことを現実感をもって受け入れる」、という風に勝手に解釈すると、
> 殆どの都市生活者は責任を回避しているでしょうね。でも、別に見たくない人に、現
> 実を直視しなさいと動物をさばいている場面を見せたい訳じゃないですよね。汚い物
> や怖いものを「これが現実だ!」と見せるのはインパクトはありますが、単に見せる
> ことによって物事の理解が深まるかどうかは大いに疑問です。単に生理的な嫌悪感を
> 誘起させるだけで、しばらく肉食出来なかったりベジタリアンを作るだけのような気
> がします。子供はその点、柔軟で、おそらくは5-6歳ぐらいなら、当然のようにハン
> ティングで捕った獲物を捌いて料理しても食べる気がします。アメリカでは狩猟を一
> つの人類の文化として子供に継承していくと言うような面がある気がするのです。日
> 本は狩猟民族でないので、それに対する抵抗感が大きいかなぁ。
日本文化は多重構造をもっていて,少なくとも縄文時代には狩猟も
普通に行われていました。近代化・都市化にともなう社会の脳化
(養老孟司さんの意味で)が,抵抗感を生み出しているように思い
ます。民族をもちだすほど歴史の古いことだとは思いません。

ぼくが言いたいのは,肉食は動物の命を奪って可能になるし,ベジ
タリアンだって植物の生命のおこぼれに預かっているわけで,ヒト
が従属栄養生物である以上,生きることは他の生命からエネルギー
を収奪することである,とはっきり認識すべきだということです。
そうであってこそ,他の生命への敬意も生まれると思います。

脳化社会は,見たくないものは見なくて済むような文化のフィルタ
ーを作ってきましたが,そうして脳が不快を感じずに済むようにな
ってきたことと,他の生命への敬意や,ヒトも自然の一部であると
いう森林の思考(鈴木秀夫さんの意味で)が失われてきたことは表
裏一体と思います。

あえていうならば,「見たくない人」が存在しないような社会を取
り戻すべきだと思っています。

=====
Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>
Department of Human Ecology, Univ. Tokyo
[WEB] http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/~minato/index-j.htm


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