[BlueSky: 237] 子供の遊びとゲームマシン Re:230 知の庶民化


[From] Ken Goto [Date] Sun, 01 Aug 1999 16:23:05 +0900

日野さん、青空MLの皆さん、
                後藤@自然観察が大の苦手です。

日野さん【230】:
> At 19:33 99.7.31 +0900, Ken Gotoさん wrote:
> >まぁ、大人が遊ぶ分には(気晴らしとして)いいんですが。こどもがゲーム漬け
> >では、対自然、対人間的コミュニケーション能力の育成の点で問題がありすぎる
> >と思います。
>
> ですね。
> 煙草に引き続き、ゲームについても僕は好きですし、やりはじめたら止まらない
> タイプです。しかるに絶対に所持しないでいます。所持したら完全に
> のめり込むのがわかっているから。自分自身では規制できないと思う。
ゲームマシンはともかく、ゲーム(遊び)一般は僕も好きです。で、たいていの
ゲーム(遊び)が「かっぱエビせん」的な性格を持っていることは、僕も実感す
るところです。

こども期とは、言うまでもなく、さまざまな人間的能力を育てる時期です。
また、こどものさまざまな行いのうち、「快楽」を与えてくれる行いこそ、その
能力を育てる力になります。こどもにとって、最も普遍的な「快楽」は遊びです。

・・・知識をいくら詰め込んでも、詰め込まれる限りにおいては面白くとも何と
もないですから、「生きた知識」には絶対にならない。

さまざまな人間的能力のうち、どうしても養って欲しいのは「人間対人間」のコ
ミュニケーションの能力であることは、論を待たないことだと思います。

・・・約200名が在席している大講義室の講義中に、平然と席を立って、何事
もなかったかのように、黒板側にある出入り口から退室していく大学一年
生がはじめて出現したのは、数年前のことです。今、大体25、6歳ぐら
いの世代。その一つ上の学生の弁によると、その世代から携帯電話世代に
なっているようです。

彼(彼女)にとって、周りは存在していない。毎回、200名中、1,2
名はいるような気がする;入れ替わり立ち代わりだとすると、恐ろしい比
率になりますが、そこは定かではありません。

もちろん、集団的平均の話をしているのであって、個々人のことを問題に
しているのではないことに注意して下さい。世代間格差はあるけれど、世
代内バリエーションが上下世代の壁を越えて広がっていることもある、と
いう意味です。ただ、上述のような一年生が数年前に「はじめて」出現し
たことに時代の象徴を感じたわけです。

で、人間的能力を育てるうえで最も重要だと思われる遊びが「ゲームマシン」で
は・・・という状況が、とても悲観的な将来を予測させてしまうのです。

> 実物のカブトムシをみて「図鑑と一緒だ!」。
> (中略)
> 図鑑からの情報で一次処理された目は、実物を客観視することを逃す恐れが
> あります。

おっしゃることはよく分かります。
このお話から僕は別のことを連想しました。つまり、こどもにとってはもちろん、
大人にとっても、図鑑は「権威」である、ということです。

> 自然観察会などをやると、図鑑と一緒だと安心して、その後興味がなる子供群
> というのと出会います。だから変な発見をするガキがいなくなった(少なくなった)。
> こういう時にも「答え合わせ」の傾向が表われているようです。

僕自身は、自然の中で遊ぶことは好きでしたが、「学問的観察」には全く興味あ
りませんでした。昆虫採集も好きでしたが、昆虫少年のような「オタク」にはな
りませんでした。で、今でも、虫や花の名前も知らない、ダメ生物学者の端くれ
です。

カブトムシやクワガタ、或いはザリガニ、カエル、、、まぁ、ペットのような感
覚というか、、、詳しく知りたい!という興味をもつことは一つもなかったです。
だから、図鑑で照合することなど殆どしなかったと思います。でも、学校の「宿
題」としては、照合しなくてはいけなかった。

・・・「図鑑との照合」、僕には苦痛の作業でした。

で、なにが言いたいか、というと、個々のこどもにはそれぞれに個性的な「興味」
「問題関心」があるので、別に「図鑑と一緒だと安心して、その後興味がなくな
る子供群」がいても、その限りでは、問題あることではないのではないか、とい
うことです。

> ゲームもそれと同じ様な危険性をはらんでいるような気がしてなりません。
> 今や生き物育成ゲームもあり、コンセプトとして「生き物を育てることで、子供の
> 感性を育む」とも言われてますが、ゲームの大半は視覚情報でのシュミレートです。
> 聴覚、臭覚、触覚から得る喜怒哀楽による愛着心はどうなるんでしょうか?
> いまの社会は視覚情報が優先傾向にありすぎると思う。
大人がやる分にはね、、、単なる気晴らしとして、楽しければそれでよいんでしょ
うが。「こどもの感性を育む」とは逆行するような遊びのような気がします。

> ゲームの怖いところは、「現実にできないからゲームで体験」という
> ところだろ思います。「事故が怖くて、違反が怖くて、それでも首都高速で
> 鬼のような走りをしたい。でもやっぱりできなからゲームで楽しむ」。
> 大人なら、あくまでもそれが虚構の世界という判断ができると思いますが、子供は
> どうでしょう。またそれを修正する大人がどのくらいいるのでしょうか。
>
> そういう基盤が整っていいないのに、「楽しむ」部分だけが先行している。
> ホントにこれで大丈夫? って気がします。
> カタカナまたは英語調にすると見えてきませんが、
> ゲームに関しては、バーチャルリアリティは仮想空間とかという、曖昧な言い方
> ではなく「偽物」と定義づけたほうがよいかも<問題発言?

ゲーム(遊び)は「偽者」でいいんだとおもいます。おままごと、ターザンごっ
こ、すべて、虚構の世界ですよね?でも、おままごとの世界で、女の子はお姉さ
んやお母さんになりきっている。

だから、ゲームマシンも「虚構」であることがいけないのではない、ということ
になります。日野さんの話の流れで言うと、ゲームマシンでは「ふっと、我に返
る」場面がないのがいけないのかなぁ。或いは、どのような「危険」もないから、
ゲームマシンとのコミュニケーションに「埋没」してしまって、そこがホントの
現実として実感されてしまう、ということなのでしょうか。

・・・僕の文脈では、対自然、対人間的コミュニケーションを奪う、ということ
です。

後藤 健
=========================
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

☆ 「生命を考える」(玄関)
    http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
★ 青空ML過去ログの全文検索(↓)は とても 便利ですよ。
    http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/bluesky2.html


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。