[BlueSky: 2349] Re:2347 地域社会と個人


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Mon, 11 Sep 2000 14:53:28 +0900

後藤さん、レスありがとうございました、葛貫です。

「個人的な体験」ということで表現したかったのは、「個人の心の
成熟をもたらす体験」ということです。
心の成熟の定義は?というと、give and takeのバランスをとる、
主張する権利に見合った義務を請け負うというようなものでしょうか。

>「親の勝手な都合」が子育てに優先する傾向も強いでしょう。

「親の勝手な都合」というより「社会の勝手な都合」で、親が当たり
前のようにそれを受入れているのでは、と思います。
SOHOや出来高制の導入等、仕事の仕方を多様化することにより、
子供や地域との関り方も変化するのでは。かつての農村のように、
仕事の場と子育ての場をきっちり分けず、自分の視野の片隅に子
供の姿を入れながら、仕事をすることも可能な職種もあるわけで・・・。
親子が一緒にいられるような仕事の形態を提供する、という地域や
公のサポートの仕方もあるのでは、と思いました。

> 両者の中庸のどこかに理想的な親子関係があるのでしょう。

それは、親と子の組合わせにより、それぞれ独自の中庸点を
試行錯誤により見つけて行くしかないのでは、と思います。

>「子守り」修行もろくにせずに親になってしまう親も増えてきた。

そして、社会が提供するサービスに子供を委ね、親となるチャン
スも失われ、30歳の子供、40歳の子供がウヨウヨすることになる
のかもしれない、です。

> 僕が言いたいことは、親だけが一身に責任を負うべきでは
>ないし、負わないほうがよい、ということです。

はい。そう思います。
私自身、4人も育てている間には、自分や夫の両親、兄弟、友人
のお世話になりました。親だけでは、育てきれなかったと思います。
沢山の人に目をかけてもらうことは大切ですが、バレーボールの
「お見合い」のように、誰が拾うか瞬間的な判断がつかず、落ちて、
壊れてしまうことがないか、怖いです。

>ただし、最終責任は親にあることに変わりはありません。

はい、そう思います。

>再三申し上げてきましたが、可愛い子には旅をさせよ、ということです。

旅に出すにも、年齢に見合った旅程があるわけで・・・・。





▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。