こんにちは、葛貫です。
大塚さん【2297】:
> 思うに、別の生き方の世界のようなものに気づかされる驚きが楽しい
>のではないかと。テレビや本で見てわかったつもりになっていても、実
>物を前にして、その世界に気づかされる機会があると印象の強さが違い
>ます。
同感です。
須賀さん【2295】:
>そうだといいのですが、トンボをとるために虫取り網のような
>子どもっぽいもの(?)のもっていたり、それなのに子どもが
>つかまえてきたトンボの名前をきかれて答えられなかったり、
>というボケナスぶりだったので、単にあなどられたんじゃない
>かなあ。
名前を知っていること = 「そのもの」を知っていること、
ではないのだと思います。
お姉さんと呼ばれていた頃、多摩川等で自然観察会を開催す
るサークルに入っていたのですが、名前をきいて、フィールド・
ノートに書いて、それで満足、という、名前コレクター(?)が、
結構多くて、何だか、もったいないな、とよく思いました。
子育て中のカイツブリやカルガモ、餌をとり損なったカワセミ、
フワフワ飛んでくるガガイモの種子等々、いろいろなものを眺め
て、その場で生活しているいきものがいることを実感し、驚いたり、
愛おしく思ったりすることの方が、名前を知るより大切に思われ
ました。それが、いきもの同志のつながりを感じ、環境について
考えるきっかけになるように思いました。
人が動く動機となるものは、知識や理ではなく、驚きや愛おしさ
というような情の部分なのではないかと、時々、思います。
情を前面に出すと他者に認めてもらえないから、理屈をつけて
かたちを整えてみたりするけれど・・・・・。
さいたま@shunさん:
> 国や企業の取組み(マクロ)と
> 個人個人の行動(ミクロ)が噛み合えばいいのですが。。。
個々人が国に意思表示する手段は選挙、企業に意思表示する
手段は製品を購買するか否か。
必要な情報が公開されること望むと共に、的確な判断を下せる
力を身につけたいです。
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