[BlueSky: 2163] 命の軽さ Re:2136


[From] "SUKA, Takeshi" [Date] Thu, 20 Jul 2000 14:46:23 +0900

青空メーリングリストのみなさん

   須賀です。

佐川さん(2136):
> 子どもたちに何か問題が起きると「命の尊さを教える教育が大切」
> なんてことを言う人たちがいますが、子供たちが、ほんとうに知る必要
> があるのは、
>
> “命の尊さ” ではなくて “命の軽さ” ではないでしょうか?

「命の軽さ」っていうのは、「性格のカルさ」とはまたちがう話なんで
しょうかね?

佐川さんのこの軽やかなことばをみて僕が連想したのは、米国の詩人
ゲーリー・スナイダーの『野性の実践』(山と渓谷社, 2000年)
という本のなかにあるこんなことばでした。

「ところで読者諸氏は、自分が動物であると本当に信じているだろうか。
学校ではそう教えられる。これはすばらしい教育だ。・・・・・(中略)
・・・・・しかし、子供のころからこれを耳で聞いてきた人の多くには、
自分が動物だことが腑に落ちないところがあるようだ。たぶん非人間の
世界が遠いものに感じられ、自分たちが動物だということに確信がもて
ないからだだろう。自分たちは動物よりもましな存在である、そう思い
たいのだ。わからないこともない。人間以外の動物にしても、自分たち
は『ただの動物』とは訳が違うと思っているだろうから。」

イヌやネコ、それにいろいろな野生動物の「行動の軽さ」をみていると、
「命の軽やかさ」と華やぎを感じます。そのような軽やかさと華やぎを
自分のものにしたいと感じるのはなぜでしょうか。そのような軽やかさ
と華やぎを、子供は大人よりもたくさんもっています。

この本、時間がなくてまだ全体で9章あるうちの第1章しかよんでいま
せんが、面白いのでもう少し引用します。

「我々の肉体は野性である。叫び声に思わず振り向いたり、絶壁から谷
をのぞくとめまいがしたり、身の危険を感じるとびくびくするし、かた
ずをのむ。また心安らかなときは、リラックスし、目は動かさず、何か
を考えている。これらはすべて哺乳類の肉体にみられる普遍的反応であ
る。」

「精神の深淵、無意識の世界は、我々の内にあるウィルダネスの領域で
あり、そこにはボブキャットが今も生きている。」

「学校での言語学習の目的は、言語領域のごく一部を柵で囲い、就職に
役立つような、あるいはパーティで社会的信頼を得られるような、文化
的エリート人間を養成することにある。そこではきわめて専門的な、例
えばビザンティン文化の芸術品の製作法を学べるかもしれない。確かに、
こういったものを習得するのは素晴らしいことだが、言語に内在する
『力』は野性の側にある。」

このような肉体や精神の性質や、言語の「力」をつかいこなせるだけの
知恵をみにつけたいものだ、と思います。

それではまた。






Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。