[BlueSky: 207] Re:205 家庭の「空気」、貧困の定義・・・


[From] can32960@pop07.odn.ne.jp (yuichiro) [Date] Thu, 29 Jul 1999 23:58:42 +0900

後藤さん、こんにちは。小宮です。

205の部分レスです。

>「理想的な」環境保護実践家であっても、原始生活を送らない限り、(主観的意
>図はどうあれ、客観的レベルでは)この矛盾を抱えて生活しているはずです。原
>始生活を実践することは、山に篭って自給自足の生活を行うことですが、それは
>単に一家だけでは実現し得ないことです。他の人間との社会的コミュニケーショ
>ンはどうしても必要になりますから、そのコミュニケーションをとる他の人々が
>また原始生活を送っていない限り、その一家の原始生活は事実上、「文明」生活
>に依拠していることになります。
>
>したがって、原始生活を実践することは事実上不可能、といってよいでしょう。
>
>そうなると、われわれ日本人が個人としてできることというのは、この矛盾を抱
>えながらも、この矛盾における力のバランスを、その個人のできる範囲で「環境
>保護ないし保全」の方へシフトさせる、ということが精一杯のことでしょう。
>
>多分、シニカルな人たちは、この努力を嘲うかのようにして「偽善だ」と判断す
>るのだろう、と思います。
>
>けれども、この矛盾は、個人が自由意志として選択した矛盾では在りません。日
>本人として生まれ落ちた瞬間から内包された矛盾です。だから、その個人の責任
>ではない。
>
>・・・ただし、環境保護実践家の中には、我こそは、、、と無矛盾的な善人であ
> るかのように振る舞う人も、いるかも知れません。
>
> 僕が問題にしているのは、そうした各人の個人的問題ではなく、日本人の
> おかれた客観的状況と、日本人一般に通底する客観矛盾ですので、ご注意
> ください。
>
>このように、この矛盾は個人の責任ではないけれど、この矛盾における力のバラ
>ンスをどのように取っていくかという点では、自由意志による選択の余地が残さ
>れています。つまり、これは個人の責任の範囲で裁量できることがらになります。
>ですから、「偽善」と嘲うひとは、今説明したような矛盾の性格を正確に理解し
>ていないものと思います。
>
>しかし、多分、シニカルな人たちは、それは「自己満足」なのだよ、と嘲うかも
>しれません。矛盾が解消・解決されているわけではないからです。この意味で、
>多分
>
>・・・「多分」を多用してますが、僕自身がこの「シニカルな人」と実際に対話
> したことがないからです。申し訳ありません。


(例によって、また完全に理解していないかもしれませんが)これにはまったく
賛成です。僕も、一般論としてニヒリストの例を上げましたが、それに落ち入る
ことなしに、環境問題を考えたいと思っています。

例え自分が会社でクーラーにひたっていても、会社で産業廃棄物を山のように
出していても、批判すべきものは批判したいと思っています。

(でも、僕自身はいつも環境のことを考えるときは、「多分これは自己満足
なんだろうな」と思ってしまうのですけどね。まあ、それでも全体の意識を
変えていくのに少しぐらいは貢献できるのかもしれません。)


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yuichiro komiya (小宮祐一郎)
e-mail:can32960@pop07.odn.ne.jp


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