[BlueSky: 2047] Re:2033 小学校での女の先生の数について


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Mon, 5 Jun 2000 16:58:14 +0900

こんにちは、葛貫です。

ゲンゴロウさん:
>人間はだれでも情に乱れます。

他者の情の乱れの煽りを、どの程度受けるか、どう対処するのか、という
のは、食べることから排泄まで、誰かの世話にならなければ育ってこられな
かった乳幼児期に密接に関った人の影響が大きいように思われます。

子供は、養育者の裏技的な自己主張の方法(心の癖)に対抗するために、
やはり裏技的な自己主張の方法を無意識のうちに身につけるのでは、
と思われます。

攻撃的な態度で相手を脅して黙らせる養育者に対しては、「可哀想な私」
を演じて、相手に罪悪感を与えたり、周囲からの同情を引くという方法。

逆に、「可哀想な私」を演じて相手に罪悪感を与えたり、同情を引く養育者
には、鬱陶しいので脅して黙らせるという方法。

自分の感情を刺激する相手を批判し、私も我慢したんだから、あなたも我
慢しなさいという理屈で封じ込めようとする養育者には、自分の感情の動き
に直面することを避け、何も感じなかったことにするという方法。

逆に、何も感じなかったことにする養育者には、感情を刺激して、生じた揺
らぎを捉えて絡むという方法。

等々のパターンを単独、あるいは時と場合によって使い分ける。

子供は、養育者との関係で作られた「心の癖」を持って、集団生活を始める。
異なる背景によって形作られてきた、異なる感情反応パターンを持つ子供達
を、最悪の場合40人も、1人の、これもまた、それなりの「心の癖」を持つ教
師が見る。各々は、ものごとを自分が見たいようにしか見ないし、感じたいよ
うにしか感じない。これが、現実なのだと思います。

「人は、誰でも情に乱れる」のが現実だとしたら、他者の感情の煽りを受ける
のと、他者の持っている背景を理解し思いやるのは、別物であることを、はっ
きり認識させ、自分が責任を負う必要のない他者の情の乱れの煽りを受けな
いように育てたいと思います。また、自分の情の乱れを他者の所為にせず、
きちんと自分で引き受け、ある程度コントロールできるように、育てたいと思い
ます。(まず、自分が、できるようになりたいです。(^^ゞ)

これは、学校云々というより、親が自分の「心の癖」をどの程度把握し、八つ当
たり的に子供をコントロールすることを避けることができるかに関っているよう
に思われます。脅したり、いじけたり、無視したり、絡んだりすることにより人を
コントロールする技が通用し続け、受け継がれていったら、不幸の連鎖が延々
と続くように思われます。それを避けるためにも、心理学的な知識は、あった方
がいいし、現状を外から見て「構図」を指摘してくれる専門家の御意見を伺うこと
が役に立つのではと思います。

自分自身、妹や弟、4人の子供達のことを顧みると、低学年の頃は、親や担任
の教師は絶対的な権力を持つ存在で、権力に比例して間違いはしないものとい
う錯覚を持っていたように思われます。けれど、学年が進み、いろいろ見てくると、
決してそんなことはなく、「ただの人だった」ということに気付いてくる。今迄、権威
を与え、自分を譲渡していた分だけ悔しくて、反抗したような気がします。
でも、結局、思うに任せないことを、親、教師、外部の条件のせいにしている間は、
その人物や条件のコントロールを受けざるを得ないことに気付いてくる。
他者が課してくるコントロールと、どう折り合うか、あるいは、そのコントロールと
如何に、さようならするか(自律・自立するか)を体験させてくれるのが、親子関係
や学校なのではないかと思うのですが・・・・・。
 #私自身、自律・自立できているかというと、?ですが、まあ、理屈は、こんな
 #ものなんじゃないかということで。

皆様の論点からは、ピントが、ずれていたかも。

参考にした本 : 「聖なる予言」 ジェームズ・レッドフィールド 角川ソフィア文庫
 #所謂、精神世界の概論のような物語で、??と言う部分も多々あり、信者に
 #なる気はないけれど、「権力闘争」という章は、こんな見方もあるのかと、
 #面白かったです。
 
では。




▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。