みなさん
大塚です
後藤さん[1988]:
> 大塚さん【1984】:
> > 喧伝される「多発する少年の凶悪犯罪」を受けて、教育改革国民会議
> > などにも提言が求められると思いますが、委員の方々には雰囲気に流さ
> > れず「自分たちの世代の方が人殺しを多く出している」という冷静な認
> > 識を持って審議してもらいたいと思います。
>
> 少年期の犯罪がその親の世代の世相を反映しているとすれば、「自分た
> ちの世代の方が人殺しを多く出している」としても、その世相は当時の
> 少年たちにとっては不可抗力であったわけですから、反省材料にはなり
> 得ません。
>
上で後藤さんが引用した部分は、やや蛇足でした。
今日の朝刊に載った「教育の森」首相の「日本は天皇中心の神の国」
発言やその少し前の「教育勅語には良い面もあって云々」発言、それか
ら、配付資料には1987年以降の犯罪データしか示されない教育改革国民
会議の最初の議題が「戦後教育の総括」で、「戦後教育はもっぱら占領
軍に作られた」とか「教育基本法の見直し」を論じていることとかを念
頭に書きました。
お年を召した委員の方が「自分たちの世代は受けた教育が良かったの
で今のように少年の凶悪犯罪が多発することはなかった」などという認
識で議論していたら、困るなぁというのが上記の段落の趣旨です。
ちなみに[1984]で発言を引用した川上委員(委員の中では唯一の教員)
は「教育基本法に文句はない」といった趣旨の発言をしています。私の
認識は川上委員に近く、「今の子供はなんだか違う」というものです。
その原因はこれまで論じられてきたように様々なものがあると思いま
す。
> ただ、なぜ、ことさらに「殺人犯」の過多だけを論じるのでしょうか?
> 「いじめ」を受けたものが自殺に追い込まれたり、或いは逆に殺人欲に
> 駆られたり、という状況が日常的になった昨今の世相は、子どもたちが
> 生きていくうえでとても苦しい状況にあるだろう、と僕は思うのです。
まず、正直に書きます。私が長谷川さんたちから聞いた知識が殺人だ
けだったことが第1の理由です。
後づけで理由を考えると、殺人は凶悪な犯罪の代表であること、重大
犯なので、いつの時代もほとんどの犯人が捕まっていると期待できるこ
と、犯罪を犯す道具立ても時代であまり変わっていないだろうと思われ
ることなどから、殺人を比較に使いやすいと考えられます。
以前、地域社会がもっと濃密な関係を持っていた時代には近所のお店
の人は客と顔見知りだったので万引きを捕まえてもその場でしかるか親
に引き渡していたのが、最近のスーパーやチェイン店での万引きは警察
に引き渡されてしまうという話を聞いたことがあります。このような
「警察の統計に乗りやすさ」が変化しやすいものは比較には向きません。
なお、平凡社の百科事典によると検挙とは「警察統計では,犯罪につ
いて被疑者を特定し,検察官への送致,送付または微罪処分をするのに
必要な捜査をとげた場合をいう。」とあります。したがって、お店から
警察に突き出されたあと父兄が引き取っても「検挙」にカウントされる
と思われます。
> 学校の様子も変わりましたし、家庭環境や地域環境も大きく変わりまし
> た。この変化が総体として子供にプラスになるような変化だった、とは
> 到底思えません。
いつからの変化か、にもよると思います。無意識に自分の子供時代と
比べてしまいがちですが、そうすると客観的な議論ができなくなります
ね。それを承知でここでは個人的な感想を少しだけ書きます。平均より
やや貧しい階層出身の私が所謂ブランド大学へ進学して動物の生態だの
行動だのの研究を志すことができたのは戦後民主主義のおかげだと思っ
ています(現在順調だと言い難いのは主に自分のせいです)。
母(戦後には没落した地主階級)が小学生のころ、同級生の中には父
親が戦争に取られた小作農の子供がいて、子守をしながら学校に通って
いたそうです、赤ん坊が泣き出すと教室から出なければならない。その
ような子供達には進学のチャンスなどなかったでしょう。
私は勝手に「大学入試の科挙化」と呼んでいますが、昨今は機会均等
が空文化しつつあるように感じます。
それから、社会の閉塞感。Jポップスなる歌謡曲を聴くと子供達の感じ
ている圧迫感のようなものが伝わってきて胸が痛くなるものがまざって
います。
なんだかとりとめがなくなってしまいました。複雑で解決しがたい要
因が絡まっているようで、かなり途方に暮れているのでこうなってしま
うのだと思います。
講義を始めても食事を続けようとする学生の出現と上記のことが直接
関連しているとは私も思っていません。
大塚公雄
東京医科歯科大学
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