[BlueSky: 1945] Re:1923 人類愛


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Mon, 1 May 2000 17:45:09 +0900

小宮さん、こんにちは、葛貫です。

> 新訳聖書では以下のようになっていました。

> しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害するもののために
> 祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人に
> も善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくない者にも雨を降らせ
> てくださるからである。・・・・・後略失礼・・・・・
>                    ーマタイによる福音書

私には、「神」が存在するとしても、それは、何の判断も下さず、悪人
にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくない者にも雨を降ら
せる、ただそこに「在るだけ」の存在であるように思われます。

意味や善悪の判断をつけるのは、何らかの価値観により時代をしきろ
うとする社会的な組織で、また、そのような社会的な組織がなければ、
生活しにくくなってしまうのかもしれません。その組織が、必要な変化を
受入れる柔軟性を、どれだけ持っているかが問題になるのだと思います。

ヒトは「自分でないもの」との対比で「自分であること」を実感ているところ
があるように思われます。もしかしたら、表現の仕方が違うだけで、同じ
質を求めているのに、ほんの僅かな違いを、ことさら自分のアイデンティ
ティとして誇示したがるために、不必要な対立を生み出しているのかもし
れません。

今後、自分達が「神に選ばれた特別な存在」であると思い込むことにより、
有限な資源を巡る争いを正当化しようとする動きが増えて来ることと思わ
れます。適切な自尊心を持つことは大切だけれど、「絶対者の目から見て、
自分(達)だけは、ちょっと特別」という思い込みを、どれだけ醒ますことが
できるかが、大きな課題になるように思われます。

「ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。」
かつて、ものすごい選民意識を持っていたサウロが、目から鱗が落ちるよ
うな体験をしパウロと呼ばれるようになった後の言葉です。(新約聖書から)

私達は、達し得たところに従って進むことしかできない。
でも、何度も、同じ愚を繰り返さず、田中さんが【1935】で仰しゃっていた
>「みんな仲良く」という方向も必要かもしれませんが、違いがある事
>(解消されない事)を前提にどうしたら良いかを考える
という方向へ、向かってゆけたら、と思います。
#でも、そんな、悠長なことを言っていたら、思い込みの激しい群に淘汰
#されちゃうのかな?

ではでは。




▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。