[BlueSky: 1827] 科学的正確さと価値判断 (re: 浄水器)


[From] "IWAO, Keisuke" [Date] Thu, 20 Apr 2000 12:24:04 +0900

いわお@桃山です。

 電磁水をはじめとして、先端科学を装ったあやしげな商品が出るたびに思う
のですが、科学的厳密さと価値判断のかねあいというのは難しいです。

 科学者としての直感、およびその筋の専門化が書いていること(何度も出て
くる「水商売ウォッチング」http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.
htmlなど)から、電磁水などまったくのいんちきだと言い切ってそれでピリオ
ドにしたいのが本音です。実際、内輪での会話ならそれでおわりです。

 ところがちょっとでも公の場で発言するとなるとそういうわけにいかない。
「〜とは断言できない。」「〜という証拠はない。」「〜の可能性は少ない。
」など断言を避ける調子でしか言えない。それは別に優柔不断だったり保身の
ための逃げ場を残しているわけではなく、科学的厳密さのあらわれであり科学
的なものの言い方ではある。

 しかし一般市民やマスコミはそれを物足りなく思うし、攻撃する者はそこに
つけ込んでくる。

 「信じたい者は信じたらいい。自分は事実に基づいて正確な情報を提供した。
判断は各自がする事だ。」というのは、伝統的な科学者的『中立』の立場です。
しかし、たとえばアトピーの子供のために無理して高いお金を払って電磁水を
使っている人に、それは多分無駄ですよ、と助言する義務は科学者にないのだ
ろうか。

 きのう読んでいた雑誌Science (Vol. 287 No. 5456 p.1188)に、環境保護活
動に乗り出す生態学者達の話が載っていて、ちょうどそういうことを考えてい
ました。科学者としての自分と環境保護活動家としての自分の間に明確な線を
引かなければ科学の正確さに影響が出てしまう。発言する時は、ここまでは科
学者、ここからは一人の市民としての価値判断、というふうに区別するように
している、だけどマスコミなどはその区別を意識してくれない、など、いろい
ろ考えさせられることが書いてありました。

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巖 圭介  IWAO, Keisuke
桃山学院大学文学部 Momoyama Gakuin University
iwao@andrew.ac.jp
http://www.andrew.ac.jp/letter/iwao/index.html


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