[BlueSky: 1507] 結論の要求 Re:1502


[From] Akifumi Murase [Date] Fri, 10 Mar 2000 19:18:48 +0900

[1500]のムラセです。葛貫さん、こんにちは。

葛貫さん:
> 現在の「科学」の範囲では、未知、未確定の要素が多過ぎて、「適正な評価」
> をどう定義したらいいのかわからないというのが、実態なのではないでしょうか。
> 良心的な学者だったら、結論だけを言うのではなく、どういう仮説に基づくと、
> こういう結果になると伝えるでしょう。聞かれない限り、仮説の部分を敢えて
> 言いもしないという学者側の態度、学者の言い分だから、正しいんだろう、と
> 仮説を疑わない一般市民の単純さに、危うさを感じます。

ご存じのように科学の研究は一般に、仮説→検証(実験)→結果→考察(→結論)
という流れで行われます。学会で発表したり、雑誌に投稿したりするときは必
ずすべてを説明するのが原則です。(ただし調査は研究ではないので、この限
りではありません。)

しかし、本人の意図に反して、結果(数値)や結論だけが一人歩きしてしまう
ことがしばしばあります。新聞やテレビを見ていると、数値や結論だけが誇張
されており、科学的な説明が不十分なことが多いです。また新聞の見出し、テ
レビの不自然な効果音やBGMによって、無意識のうちに不必要な感情を植え
付けられている可能性が十分に考えられます。

私は以前、公衆衛生関係の研究をしていたことがあり、得られた結果の扱いに
気を使いました。新しい方法が実用できるかどうかを検証するのが目的だった
のですが、すぐに何らかの有用な結論を求められるようなことがしばしばあり
ました。新しい検査法で何かを言う場合、前段階としてまずいろいろなサンプ
ルについて適用してみる必要があります。つまり、ある物質の濃度がこの地点
では高い(低い)と言うためには、あらかじめ多くのサンプルから一般的な数
値を出しておく必要があるわけです。また、従来法と比較しておかないと、今
までのデータと同じ土俵で議論できません。しかし、社会のニーズはそのため
の時間を与えてくれないことがあるように思います。

話は少し変わりますが、住民に対する説明会で、データの解釈の仕方(たぶん
葛貫さんのおっしゃる「仮説の部分」)を説明しようとした学者が、「分かる
ような説明をしろ。」と野次られている場面を見たことがあります。学者は現
状で分かりうる範囲でしか断言できないのに、住民側は白黒はっきりさせたい
という、両者の意識の差が見られました。学者にしても、はっきりとした結論
を出したいのは同じで、その学者に私はすごく同情しました。余談ですが、説
明会を開くようなケースでは、受ける側の感情がすでにできあがっており、議
論が成り立たないことが得てして起こるように思います。


すぐに結論を求めず、既知の事実を冷静に受け止めて、自分なりに考えるよう
な心構えが大切に思います。また、そのような教育が必要です。過程より答え
の方を重視する日本の(学校や親の)教育では、その辺が不足しているように
思います。これが結論です。(^^)


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