[BlueSky: 1358] 雇用対策としての可動堰


[From] Toshioki Suzuki [Date] Tue, 01 Feb 2000 15:43:03 +0900

札幌の鈴木といいます。

一連の話の中で、未だ理解していない点があるのですが、そもそも「無駄な公共
事業」とは一体どのようなものを指すのでしょうか?どんな公共事業でも、完成
後に利益を被る人がいるのだと思います。利益を被る人がいる以上、それはけっ
して「無駄」ではないと思うのですが。
「費用をかけた分の利用・効果が望めない」ということと、「無駄」というのは
別なのでは。

それと、はじまりは吉野川の堰についてでしたが、なにしろ北海道にいると情報
があまり流れてこないからなのか、その是非について長良川の河口堰のようには
論点が見えていません。
もともと堰が無かった長良川と違って、吉野川の場合は既に堰が存在しているわ
けで、それを改築する事に対して徳島市民がなぜ反対意見を持っているのかがわ
かりません(決して堰に賛成ということではなく、単純に情報が少ないという意
味で)。必要とする意見と必要ないとする意見の両方を客観的に見る事ができれ
ばいいのにと思います。

物事すべてが「お上」の意のままに進んでいくというのには問題がありますが、
だからといって感情的・感覚的な意見によって決定される事にも賛成しかねま
す。今日(2月1日)の朝日新聞の記事に、「専門家が必要と言っているものを
住民の多数決で決定していいのか」という疑問を否定するような書き方がされて
いました。その疑問にきちんと答えた上で否定してもらいたいのですが、マスコ
ミにそれを望むのは無理な事なのでしょうか。

北海道でも「無駄な」公共事業は要らないという運動をされている方がいらっし
ゃいます。もちろん私も「必要の無い」事業は要らないと思いますが、実際のと
ころは件数を減らすのではなく、それぞれの予算を少しずつ削る事で公共事業費
を減らしているように感じます。
なぜそのように感じるかというと、仕事で環境調査をしているのですが、依頼件
数は減らないものの、その予算が減額されるケースがいくつか出てきています。
考えすぎなのかもしれませんが、全体予算が縮小された結果、一番削りやすい所
を減らした結果なのではないかとも思います。また、手抜き工事などを生むおそ
れもあるでしょう。とすれば、ただ単に公共事業(費)を減らせと主張している
だけでは、結果としてきちんと環境影響評価が成されず、出来上がったものも欠
陥だらけということになりかねません。
そうしないためには、いうだけいって後は相手任せというのではなく、最後まで
監査する責任も持った上で公共事業を減らせと主張してもらいたいのですが。

最後は少々愚痴になってしまい失礼いたしました。

鈴木利典@フィールドリサーチグループ  タルカ


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