[BlueSky: 135] 倫理基準、評価基準、意志決定


[From] Nagamitsu Teruyoshi [Date] Mon, 19 Jul 1999 17:13:50 +0900

その後の議論を拝見して、たいへん勉強になりました。
自然がのこっている土地を利用するときの合意形成の例にもどってみますね。

1)倫理基準:小宮さん[103]
「土地の価値や利用法の評価にあたっては、
科学的な論理やデータより倫理を優先させるべきである」

との発言には、胸がすかっとしました。
これで、議論やデータなどすっとばして、
理想の土地利用ができる(とおもいこむことができる)んですから。
 たかい倫理感を共有する人たちが共同体をつくってしまい、
そのなかで倫理にしたがって生活すること、そのメンバーをふやすことは、
あれこれ論理やデータをいじくりまわすことより、
はるかに実践的な解決策かもしれません。

2)科学的評価基準
「土地の価値や機能の一部を科学的な論理やデータであきらかにし、
より包括的な尺度を提案することで研究者は貢献できるが、
その尺度は不完全である」

というのが、なんとなく、これまでの議論の最大公約数かなとおもいます。
 たとえ複雑な現象(人体のストレスや野生動物の絶滅など)であれ、
その一部をとりだして、定量化したり予測したりすることはできます。
その作業の総合として、
持続性予測とかリスク評価といったより包括的な尺度を提案することもできます。
しかし、それらの尺度による評価は、あらたな理論や事実による反論にさらされ
(だからこそ「科学的尺度」なのですが)、
土地利用の意志決定につかうには、不完全でたよりないようにみえます。
(というか、「この尺度が真理だ」といったとたん、
その人は、科学者ではなく教祖になってしまいます)

3)意志決定
「倫理的基準も貧弱で科学的評価も不完全なまま、
現実に、私たちは意志決定し、社会は合意形成をたっしている。
いったい、いかなるメカニズムでこんなことができるのか?」

蛍光灯をつかうべきか、白熱灯をつかうべきか、
タバコをすうべきか、すうべきでないか、
もしかしたら、倫理でも科学でも永遠にこたえはでないかもしれませんが、
私は、いま現実に、白熱灯をつかっているし、タバコはすいません。
そうでない人もいます。

これってすごいことだなーと私はおもいます。
 倫理的基準と科学的評価をこねくりまわすことに没頭すれば、
つまり研究者モードになってしまえば、
こういう「日常生活の意志決定・合意形成」から逃避できます。
 倫理的基準も科学的評価もなしに
日々、実践しその結果をひきうけているフツーの人々、
そういう人々のつよさといさぎよさ、真剣さ、そしておろかさを
理解したいとおもうこの頃です。




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