長崎の伊東さん、葛貫さん、相澤@水処理屋さん、こんにちは、水野です。
コメントをいただき、ありがとうございました。
ボランティアについて。私は実は、ボランティアという言い方は、(誤解を
招きやすいので)あまりすきではないのですが^^;; そこで一言させてください。
ボランティアという言葉は、一般には、行政側からみると、無償(あるいは安価)
な労働力にしかみえないことがあるかもしれないし、またちょうど、非営利というと
お金をもらってはいけないと誤解している人もいるように、情報ボランティア
のボランティア、という概念も、誤解をされやすいかもしれません。
実際には、その人の専門性からみると、売ること「も」できるような能力を、
対価とは無関係に、必要とされている時、必要とする人に対して、提供する
のであって、ちょうど、有名歌手のチャリティとか、学園祭で学生がパンフを
売ってその売り上げを様々な社会的活動に使うようなもので、その枠内で
金銭処理をするのであれば、非営利なわけです(で、第3者にもその利益を
金銭的に還元すると、その段階で、営利、となるだけなのですね。そうでなければ
非営利であり、ボランティアです。無償とか金銭の授受があってはいけない、
という必要はないわけです。例えば、旅費とか交通費とか、日当だってもらって
いいわけです。そうでなければ、そのあたりで
大きな社会的誤解も存在するわけです)。
そう考えると、もっと、ボランティア的な活動が広がってもいいと思うわけですね。
まあ、自分が書いたものばかりなのですが、そのあたりで、こういう文書もあります
ので。ご参考までに。
「大学と社会ネットワークにおけるボランティアの役割」、文部省「教育と情報」
「情報とボランティア」、内海、入江、水野編「ボランティア学を学ぶ人のために」
(世界思想社、1999年)
***
前置きが長すぎですが、ご返事です。
長崎の伊東さん:
>> ちなみに、こういう主張は、私は「情報ボランティア」(NECクリエイティブ)
>
>ずいぶん前に買った憶えは有るのですが、
>なぜか読んだ憶えが有りません。
あれば、あまり一般の本屋には出回らなかったのですが、貴重かも(笑)。
(その後、第14回テレコム社会科学賞なども受賞しました)。
> #どこに埋もれているのだろう?
第7章と付録のQ&A だけでも読んでいただければ、うれしいです^^;;;。
***
葛貫さん:
>水野さん、情報ボランティアのページ、読ませていただきました。
あのページは、5月ころの原稿段階のもので、最終的に出版されたバージョン
は、もっとちゃんとした言葉遣いとなっていまして、あれだけでは
お目よごしだったかもしれません(すいません)(最終原稿は、なかなか手元
に残らないのですが、差し替えておくことにしたいですm(_)m)。
>たなくても、「本」というかたちを取らなくても、個人で情報を発信したり、
>収集したりできる環境が整い、更に、水野さんが仰しゃるように、全分野の
>学術情報がオンラインで利用できるようになると、現在の専門家社会の在
>り方は、変化せざるをえなくなると思われます。
そうでしょうね。インターネットも情報技術も、こういう面で、貢献すべき
(本来的にはそういうために、つまり、学術系のネットワークだったわけです
が)と、夢を持ち続けています。もちろん、皆さんがご指摘になるように、
いろいろな弊害もおこりつつあって、それはそれで、正しいご指摘と
思われるわけですが、弊害は、「教育」(問題の意識化、言語化)によって
原理的には克服できるとも、思うわけです。
>昨年の4月に、科学MLで「市民と科学」、「科学警察とか」という話題が
あぁ、あのころ、私はおそらく忙しくて(本当はそうでもないのでしょうが)
参加できなかったように思います。
>でたことがありました。システムが円滑な運営や全体の利益を考える時、
>科学は無駄のない合理的な判断を下してくれるけれど、それは個人が
>感じたり、求めている心地好さ等の「質」とは違う次元にあるものかもし
>れません。ヒトの文化の中に、科学・技術をどのように位置付けるかと
>いうことも、学者、市民が一緒に考えなおした方が良いのだと思います。
まったく同感です。そのためにも、私は、デカルトまで戻って考えようと。
近代+現代とは、結局、あの夢を実現しようとしてきた、わけです。
>科学技術はヒトが主体的に利用するもので、振り回されたり、それを楯に誰か
>/何かに利用されるのは、御免蒙りたいと思います。
科学教育(物理教育)を社会の観点までいれて行うとは、技術のブラック
ボックス化を未然に防ぎ、批判的かつ主体的に、科学的テクノロジーを、
見ることができる、そのための人材養成に、本質的に重要であると、私は
思っております。ご期待に添えるよう(かどうか、わかりませんが)、
頑張らねばなりません。
>経済、政治的な思惑と結び付きがちな科学・技術の進展と、個々人の意識や
>意志の掛け橋としても、情報ボランティアが有効に機能してくれることを望みます。
そうですね。そのためにも、「経済、政治的な思惑」、などという中間段階を
すっとばすことができるハズの、情報技術+情報ネットワークの活用に
私は期待しています。
***
>相澤@水処理屋さん:
>> 学術情報がオンラインで利用できるようになると、現在の専門家社会の在
>全くもってすばらしいシステムだと思います.
>個人的な経験から言えば,大学院の頃、研究をやる上で、新たな視点(他分野の研究)
>を取りこんで論文を構築しようとしましたが、情報を手に入れにくかったのと、情報
>を不完全にしか生かせなかったことに歯がゆさを覚たものでした。教授に、「余計な
>ことを考えず,言われたことだけをやってればいい」とよく言われましたが.
>しかし、学術情報がオンラインで自由に手に入れられ,それに伴うジャーナリズムが
>発達すれば, 学者や学生だけでなく、多くの人々が情報を租借でき、議論に参加で
>きます。また、大学などの保守的な先生方も、その世界だけで通じることだけをやり
>続けることが難しくなり、研究レベルもあがると思います.これからどんどん発達し
>て欲しいです。
勇気が出ます。わかって下さって、うれしいです^^。
ご参考までに、こういうアナウンスもあります。
科技庁系のプロジェクト:
「科学技術関連雑誌の電子ジャーナル化を支援する共同利用システム開発
―科学技術関連雑誌のインターネットでの発信・利用が可能に」
http://www2.jst.go.jp/pr/announce/19990408-1/
文部省系のプロジェクト:
「オンラインジャーナル編集・出版システム開発・構築事業」
http://www.nacsis.ac.jp/olj/index.html
また、これらのモデル+推進母体の一つとなっているのは、それぞれ、
応用物理学会と日本物理学会(の論文誌)ですので、それもここで紹介させて
いただきます。
http://www.jjap.or.jp/index.shtml
http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/jps/jpsj/index.html
もちろん、これだけ(論文だけ)では、何がなんだか、わからないと思いますが、
それを活用する経験の蓄積が重要で、それを自由自在にやってみせることが
できるのが専門家、それができなければ、専門家とはいえないわけです、問題が
なんであろうとも。
> そんな頼りない社会でどうやって生きて行けばいいのか、なにに拠り所を求めたら
>いいかといえば,それははっきりした答えのみえる科学と宗教だけであると思ってい
>ました。
> しかし、環境問題を考えることで、それが少し違うということに気づきました.つ
>まり、環境問題を考えることとは、今の社会の現状に対し、人がどのような美徳を
>持って対処していくかということを考えることで,実際は環境問題自体以上に、現代
>人の忘れかけた人間性を考えることであるということに気づきました。どんな技術を
>開発するのでも、法律をつくるのも、結局はそれがなければ意味がない。
同感です。結局、そういうことなんでしょうね。
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Yoshiyuki MIZUNO 水野 義之(大阪府 茨木市) ymizuno@yo.rim.or.jp
Office: 京都女子大学 "現代社会学部" http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/
mizuno@kyoto-wu.ac.jp Tel&fax: 075-531-7104 fax: 075-531-7012
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