小宮です。中澤さん、よこやまさん、御意見ありがとうございました。
中澤さんwrote;
>(3)で勝てなくても(2)で摺り合わせをするのは必須です。(1)から
>(3)は並立する相補的なものと思っています。また,(3)で使われる
>判断基準は1つとは限りません。ながみねさんが[90]で指摘されたように,
>共通の尺度でありさえすればいいのです。ぼくが[60]で出した例では
>たまたま経済を取り上げただけです。
>これを(3)の水準で行うことも,また可能です。何も経済優先を
>判断基準にしなくても客観的比較は可能だということです。例えば,
>住民の身体的健康状態,精神的健康状態(質問紙やインタビュー
>による方法もあれば,ストレス関連ホルモンの測定による方法もあり
>ます),住民がどの程度自然を望んでいるかというデータをとるとか。
>こういうことについてのデータを取るのは研究者の仕事と思います。
そういう意味だったんですね。ちょっと意味を取り違えていたようです。
よこやまさんwrote;
>ご意見は全く尤もですが,倫理や道徳を根拠にするのは困難でしょう。
>倫理も道徳も極めて個人的なものでしょう。特に環境に対しては,
>人によって立場によって大きく違うと思います。
>それに元々多くの人間はそんなに倫理的でも道徳的でもなく生活して
>います。倫理的でも道徳的でもない人に倫理や道徳で説得できるでしょうか?
>生活がかかってると言われたらそれまででしょう。
>
>意図は分かりますが,そこは押さえてあくまで客観的なデータを示して
>議論する必要があるでしょう。
>
>>例えば、先の例では、倫理的規制のない(2),(3)の場合では、研究者が
>>機能面、利便性の面で、道路用地や下水処理場建設に伴う莫大な利益を
>>データとして提出すれば、やはり干潟を埋め立てたほうがいい、という
>>ことになってしまいます。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
>>単にアサリの浄化能力よりも人工の下水処理場の方が勝っている、という
>>データのみで干潟を埋め立てるべきなのでしょうか?
>
>そう言う場合に備えて[BlueSky:61]複雑学では
>
> 環境やエネルギーなど人間の存在を支える必須の資源について考える場合,
> 時間軸に直交する方向,つまりその時にどれだけ仕事をしたかではなく,
> 時間軸にそった方向,その仕事をどれだけ長く持続させられるかで考えてみる
> 必要があると思います。
>
>と申し上げました。
>道路や下水処理場は単位時間当たりの経済価値は高くとも,その価値を維持する
>ことが極めて困難でコストがかかります。干潟の生物に仕事をしてもらう方が遙かに
>安上がりで持続的です。これからは技術の持続性あるいは自律性つまり長期間に
>わたるコスト計算が説得力を持つと考えます。
確かに、そのとおりだと思います。僕は実際にこのような土地利用における紛争を
経験したことはないので、机上の空論になっていたと思います。失礼なことをいって
もうしわけありませんでした。
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yuichiro komiya (小宮祐一郎)
e-mail:can32960@pop07.odn.ne.jp
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