[BlueSky: 1174] Re:1173 技術の社会的管理 


[From] suka@nacri.pref.nagano.jp (SUKA, Takeshi) [Date] Mon, 6 Dec 1999 20:56:25 +0900

須賀です。山本さん、コメントありがとうございます。

須賀:
> >毒草の知識は、原子力のように大勢のひとに広い範囲で一度に影響をあた
> >えるようなものではありません。しかしそれでも、その知識のもつ危険は
> >このようなかたちで認識され、その知識を得ようとする者の心構えについ
> >てしっかり見定めようとし、またその自覚をもとめているわけです。

山本さん:
> 日本の社会でも、一応この様な規制はあると考えた方がいいと思います。
> 車にしても、運転免許があるのですし、原子力発電にしても知識の無い人間
> が扱えない様になっています。
> 交通事故の大半は、このような免許を持っていながら、誤った認識で運転し
> ているために起きるとも考えられます。
> 東海村の事件も、許可を与えた人間が間違った認識を持っていたため起きた
> のでしょう。

そうですね。その点については特に異論はありません。危険をともなう
技術やその知識をどうとりあつかうかに関して、インディオの社会にも
日本の社会にもこのような共通の側面があるということには、たいへん
興味ぶかいものを感じます。

山本さん:
> 須賀さんの考えを延長していくと、日本の許可の与え方に問題があり、許可を
> 与える方法として、試験(主に知識・技能)だけで判断する制度に問題がある
> やもしれない。ということになりそうですね。

なるほど、わたしはそこまで具体的に考えていたわけではありません
でした。

本にでてくるインディオの社会でも、毒草や薬草など強い作用を及ぼ
す植物についての高度な知識は、だれもがもっているわけではなく、
シャーマンとよばれる特別なひとだけがもっています。それだけに、
シャーマンは伝統社会において恐れられ、尊敬される存在でもあった
ということです。西洋医学の薬や銃などがもちこまれることで、その
権威は低下しているとのことです。

特殊な知識の保持者と社会の他のひとびとの間の関係のありかたに、
伝統的なインディオの社会と現代の日本社会のちがいがあらわれて
いる、といってもいいのかもしれません。現代の日本の社会では、
伝統的なインディオの社会にくらべて、技術を通して相互に危険を
およぼしあう範囲があまりにも大きく、同時にそうした知識をいか
にコントロールしあうかということに関して直接の人間的やりとり
をおこなう力が相対的によわいとはいえるのではないでしょうか。

このような状況をどうしたらいいのかというテーマは、許可の与え方
の問題に最終的には集約されるのかもしれませんが、さしあたって
それにはとどまらず、教育や政治や地域社会のあり方などの幅広い
領域の問題を考えてみる必要がありそうな気がします。

山本さんがこれ以外に出された技術的な疑問点については、わたしの
手にはおえませんので、より専門的な知識をおもちの方のコメントを
待ちたいと思います。



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