[BlueSky: 115] Re:101 Re84, 90 Re60 :議論の3つの水準


[From] Ken Goto [Date] Fri, 16 Jul 1999 15:44:49 +0900

ながみつさん、青空MLのみなさん。
後藤@帯畜大です。

ながみつさん【101】:
> 議論の方は、オープンにしときます。
ここ、何を意味しているか、僕にはわからないです。
青空MLはオープンな議論の場だし。

> そのまえに、横山和尚【19】の言葉にはまったく同感です。
>
> > 確かに,産業革命以来,科学技術は人々に「不可能を可能にする」夢を与
> > えてきました。
> > しかし,21世紀の科学技術は「不可能なことを不可能であると知る」た
> > めに用いられるべきだと考えています。
>
> 科学技術は、
> 自然の法則を科学によって理解し、その法則を技術によって人が利用する、つまり
> 「自然で可能なこと(の一部)を人に可能にする」・・・(1)
> 営為だと私はおもっていますが、
> 「自然で不可能なことを人に可能にする」夢をたしかにあたえてきました。
> なんでこんなことになったんでしょうかねえ。永久機関とかつくりたがるし。
> 不可能かどうかはやってみなくちゃわかりまへーん、というところでしょうか。
> (1)は
> 「人に可能ならば自然に可能である」
> ということ(命題)であり、対偶をとれば
> 「自然に不可能ならば人間に不可能である」
> と、無理なく和尚のお言葉にみちびかれるのですが。
↑の(1)を「人に可能ならば自然に可能である」と等価においていいのか、ちょっ
とわかりません。

第一段:「自然を理解し、それを利用する」(すべて、人間の行為ですね?)

第二段の「自然で可能なこと」という文章で何を意味しているのか、実はよく理
解できない。自然が自然力として行うこと、でいいですか?とすると、、、
第二段:自然が自然力として行うことは、人間も人工力として行うことが(少な
くとも一部は)可能である。

で、どうしてこれが
「人に可能ならば自然にも可能である」ということになるのか、いまいち理解で
きません。

自然に不可能であっても、例えば、クローン動物作成のような芸当を人間は行う
ことは可能です。

和尚のお言葉は、(人間に)不可能であることを(人間に)不可能であることを
知れ、

というごく当たり前の、しかし、傲慢な人間が決して反省することのないことを、
御指摘なされたのだ、と思います。ソクラテスも、汝の無知を知れ、と和尚と同
じようなことを説かれました。

ながみつさん【101】
>
> 質問1
> わが国の森林は、林業と農業が育成してきたという理解は間違っているのですか?
>
> まちがっていません。
>
> (中略)
>
> 質問2
> 国内林業の軽視が、東南アジアの熱帯雨林破壊に寄与してきた、と思って
> きたのですが、これも間違いですか?
>
> 一般論としてはまちがっていません。
>
> ただ、国内林業の衰退と東南アジア材(南洋材)の輸入の歴史をふりかえると、
> 「軽視」とか「破壊に寄与」という表現ではいいあらわせない、
> 当時の状況がうかがえます。

分かりやすい御説明、大変有り難うございます。今はちょっと時間ありませんの
で、また勉強してから、いろいろお聞きしたいと思っております。その節はまた
よろしくお願いいたします。


後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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