[BlueSky: 101] Re84, 90 Re60:議論の3つの水準


[From] Nagamitsu Teruyoshi [Date] Thu, 15 Jul 1999 18:09:47 +0900

後藤さんへ

倫理のないながみつです。

議論の方は、オープンにしときます。

研究者以外の方からの、
「科学者なんてむつかしいこといってるだけで役にたたないよ」とか
「えらそうなこというけど、うそばっかり」とか
「会合に研究者がいると場が暗くなる、うっとうしい」
などの、ご意見、ご経験をおきかせください。
今後の糧にします。

で、後藤さんの質問におこたえします。

そのまえに、横山和尚【19】の言葉にはまったく同感です。

> 確かに,産業革命以来,科学技術は人々に「不可能を可能にする」夢を与
> えてきました。
> しかし,21世紀の科学技術は「不可能なことを不可能であると知る」た
> めに用いられるべきだと考えています。

科学技術は、
自然の法則を科学によって理解し、その法則を技術によって人が利用する、つまり
「自然で可能なこと(の一部)を人に可能にする」・・・(1)
営為だと私はおもっていますが、
「自然で不可能なことを人に可能にする」夢をたしかにあたえてきました。
なんでこんなことになったんでしょうかねえ。永久機関とかつくりたがるし。
不可能かどうかはやってみなくちゃわかりまへーん、というところでしょうか。
(1)は
「人に可能ならば自然に可能である」
ということ(命題)であり、対偶をとれば
「自然に不可能ならば人間に不可能である」
と、無理なく和尚のお言葉にみちびかれるのですが。

質問1
わが国の森林は、林業と農業が育成してきたという理解は間違っているのですか?

まちがっていません。

日本の森林は世界的にみても多様で、
林業と農業という人為的作用によって
生息地がふえた、個体数がふえた、現存量がふえた
植物種、植生区分もあればその逆もあります。

そこらへんはおいといて、
包括的に、森林を、樹木によって地表面がおおわれた空間とします。
その空間を標高0面におとした面積、つまり森林面積は、
明治以来100年間、国土の65〜68%できわめて安定しています。
また、農地対森林の面積比もほとんど一定でした。

おおまかにいうと、この100年間(近年の農地減少はのぞく)、
農地をつぶして市街地がふえ、
その分、森林をきりひらいての農地になり、
その分、あれ地や草地に植林して森林になったのです。
えいやっというと、都市化した分、はげ山がなくなりました。

育成というといろんな意味があるとおもいますが、
面積の増減の尺度でみると、
林業(砂防治山をふくむ)はあれ地への植林で、農業は農地対森林の面積比の維持、という点で、森林面積を維持してきたといえます。

質問2
国内林業の軽視が、東南アジアの熱帯雨林破壊に寄与してきた、と思って
きたのですが、これも間違いですか?

一般論としてはまちがっていません。

ただ、国内林業の衰退と東南アジア材(南洋材)の輸入の歴史をふりかえると、
「軽視」とか「破壊に寄与」という表現ではいいあらわせない、
当時の状況がうかがえます。
以下に、この歴史を簡単な年表にしてみます。

1948 南洋材戦後初輸入
1950 木材価格が統制解除され、一般物価の2倍の上昇
1954 年間造林面積ピーク
1961 林業労働収益率ピーク、以後減少
1961 木材需給逼迫、南洋材緊急輸入
1963 GATT加盟、木材貿易自由化、南洋材輸入激増
1967 国産材生産量ピーク、以後減少
1973 南洋材輸入量ピーク、以後減少
1973 オイルショック

この特異な歴史のなかで、その当時「重視」政策をとろうとすれば、
1)収益率がたかく製品価格もたかい(1961-63当時)林業を保護する
2)1967以降(結果的には1973まで)も国産材を増産する
となります。
1)は、当時の国内・国際世論の批判をあびたでしょうし、
2)を実行していたら、
国有林野事業はもっとおおきな赤字をかかえこんでいたでしょう。




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